ファルブラヴ 戦績

ファルブラヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 17:28 UTC 版)

戦績

2歳・3歳時代

2000年9月3日サンシーロ競馬場にてミルコ・デムーロを背にデビューし、デビュー戦を白星で飾る。しかし、その後は2歳G2のグイード・ベラルデッリ賞まで3戦連続2着という成績で2歳を終える。年が明けて2001年ダリオ・バルジュー騎手を背に3歳初戦で勝利するも準重賞ではまたしても2着。続く目標のデルビーイタリアーノ(伊ダービー)でもモルシュディの2着に敗れ、なかなかいいところで勝利することができなかった。だが、その後の一般レースで勝利すると、準重賞こそ3着と敗れるがその後の一般レースを3と1/2馬身差で勝利し3歳を終える。

4歳時代

2002年になると初戦の一般レースを6馬身と圧勝。続いて臨んだ共和国大統領賞ではレコードで初めてG1を勝利すると、返す刀でミラノ大賞典も3馬身差で制した。こうしてイタリア上半期の中長距離G1レースをすべて制したファルヴラヴは、次の目標を凱旋門賞と定め、プレップレースにフォワ賞を選んだ。しかし、フォア賞では牝馬のアクアレリストの3着と敗れ、オリビエ・ペリエを新たに鞍上に臨んだ凱旋門賞では、直線で全く伸びずにマリエンバードの9着と大敗してしまう。これはロンシャン競馬場の深い芝が共和国大統領賞をレコードで制したファルブラヴには向かなかったためとされている。そこで陣営は、速いタイムの出やすい「軽い馬場」と言われる日本のジャパンカップに矛先を向けた。

この年のジャパンカップは、東京競馬場が改修工事で使用できないため、代わりに中山競馬場の2200mで開催された。このレースの外国馬はファルブラヴ以外にも、フランスの牝馬限定G1オペラ賞勝ち馬のブライトスカイや、キングジョージの勝ち馬ゴーランも出走していたとあって、見劣りしたのか9番人気の低評価ではあった。しかし初めて同馬に騎乗したイタリア出身のランフランコ・デットーリの好騎乗もあり、サラファンとの激しい叩き合いを制し、シンボリクリスエスの猛追をも凌ぎ切って勝利する。このレースは、サラファンの陣営からファルブラヴに対しての抗議が出たため、改めて審議となった。なお、この勝利で社台グループはファルブラヴの約半分の権利を購入した。

5歳時代

年が明けて2003年、ファルブラヴはイギリス・ニューマーケットのルカ・クマーニ厩舎へ移籍する。新たに鞍上にキーレン・ファロンを迎え、年明け初戦に選んだのは、フランスのGIレース、ガネー賞であったが、3着と敗れてしまう。しかし続くイスパーン賞では勝利し、フランスで初めてG1を勝利する。

続いて陣営が選んだのはプリンスオブウェールズステークスで、イギリス移籍後初めて地元でのレースとなる。鞍上に再びデムーロ騎手を迎えレースに挑むもネイエフの5着と惨敗。しかし次走のエクリプスステークスでは新たにホランド騎手を背にそのネイエフを抑え、イギリスで初G1制覇となった。G1連勝を狙って、次走をキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと定めてレースに臨むが、アラムシャーの5着と惨敗。移籍後はなかなかG1連勝はならないが、次走のインターナショナルステークスを勝利する。

続いてアイリッシュチャンピオンステークスに出走するためアイルランドに遠征。ここでは前年に英愛ダービーを制したハイシャパラル、キングジョージで苦杯をなめたアラムシャー、ドバイワールドカップの勝ち馬ムーンバラッドヨークシャーオークスを連覇した名牝イズリントン、この年の愛オークス馬のヴィンテージティプルが名を連ねた。レースではハイシャパラルが抜けだし、それをファルブラヴが猛追するが、アタマ差とらえ切ることが出来ずに2着と惜敗。

再びイギリスに戻って、次に陣営が選んだレースはマイル戦のクイーンエリザベス2世ステークスであった。デビュー戦以来のマイル戦となったが、それを感じさせず2馬身差の勝利。続いてアメリカに遠征しBCターフへ出走するも、ゴール前でハイシャパラルとジョハーに交わされ、またしてもハイシャパラルに敗れた。

次走は香港カップで、このレースを以って引退し、日本で種牡馬入りすることが決まっていた。そのため、このレースでは吉田照哉の勝負服を使用した。再び鞍上にデットーリを迎え、レースではラクティ等を抑え、2馬身差の勝利。見事引退レースを飾った。この年G1を5勝したことが評価され、カルティエ賞最優秀古馬とBHB賞年度代表馬に選ばれた。

社台グループはジャパンカップ優勝後に約半分の権利を購入していたが、引退時に残りの権利も購入し日本で種牡馬入りした。

競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2000.09.03 サンシーロ ルヴィニャノ賞 芝1600m 1着 M.デムーロ 1/2馬身 (Mel Marengo)
0000.09.27 サンシーロ レヴィS 芝1700m 2着 M.デムーロ 1/2馬身 Rosa di Brema
0000.10.15 カパネッレ マーモレ賞 芝1800m 3着 M.デムーロ 4馬身 Mistero
0000.11.05 カパネッレ グイードベラルデッリ賞 G2 芝1800m 2着 M.デムーロ クビ Mistero
2001.03.31 サンシーロ パラッツェット賞 芝2000m 1着 D.バルジュー 1馬身 (Sopran Crown)
0000.03.31 サンシーロ エマヌエーレフィリベルト賞 準重 芝2000m 2着 D.バルジュー 2馬身 Baciale
0000.05.27 カパネッレ デルビーイタリアーノ G1 芝2400m 2着 D.バルジュー 2 3/4馬身 Morshdi
0000.09.02 サンシーロ ニコ&ヴィットーリオカステリッニ賞 芝2200m 1着 D.バルジュー 大差 (Sopran Crown)
0000.09.23 サンシーロ ファッサティ賞 準重 芝2200m 3着 D.バルジュー 1 3/4馬身 Altieri
0000.11.04 カパネッレ シェイブラー賞 芝2000m 1着 D.バルジュー 3 1/2馬身 (Montesino)
2002.04.21 サンシーロ サニタ賞 芝1800m 1着 M.パスカーレ 6馬身 (Alburno)
0000.05.12 カパネッレ イタリア共和国大統領賞 G1 芝2000m 1着 D.バルジュー 1 1/4馬身 (Ekraar)
0000.06.16 サンシーロ ミラノ大賞典 G1 芝2400m 1着 D.バルジュー 3馬身 (Narrative)
0000.09.15 ロンシャン フォワ賞 G2 芝2400m 3着 D.バルジュー 1馬身 Aquarelliste
0000.10.06 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 9着 O.ペリエ 5 3/4馬身 Marienbard
0000.11.24 中山 ジャパンC GI 芝2200m 1着 L.デットーリ ハナ (サラファン)
2003.04.27 ロンシャン ガネー賞 G1 芝2100m 3着 K.ファロン 2 1/2馬身 Fair Mix
0000.05.18 ロンシャン イスパーン賞 G1 芝1850m 1着 K.ファロン 1 1/2馬身 (Bright Sky)
0000.06.16 アスコット プリンスオブウェールズS G1 芝10f 5着 M.デムーロ 7 1/2馬身 Nayef
0000.07.05 サンダウン エクリプスS G1 芝10f7y 1着 D.ホランド 3/4馬身 (Nayef)
0000.07.26 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 5着 D.ホランド 8馬身 Alamshar
0000.08.19 ヨーク インターナショナルS G1 芝10f88y 1着 D.ホランド 2馬身 (Magistretti)
0000.09.06 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 2着 D.ホランド クビ High Chaparral
0000.09.27 アスコット クイーンエリザベス2世S G1 芝8f 1着 D.ホランド 2馬身 (Russian Rhythm)
0000.10.25 サンタアニタ BCターフ GI 芝12f 3着 D.ホランド アタマ High Chaparral
Johar
0000.12.14 沙田 香港C G1 芝2000m 1着 L.デットーリ 2馬身 (Rakti)

受賞歴


ファルブラヴ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ノーザンダンサー系
[§ 2]

Fairy King
1982 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong

Gift of the Night
1990 黒鹿毛
Slewpy
1980 黒鹿毛
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Rare Bouquet Prince John
Forest Song
母の母
Little Nana
1975 栗毛
Lihiot Ribot
Rytina
Nenana Road Kirkland Lake
Sena
母系(F-No.) (FN:4-i) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [9], [10]
  2. ^ [10]
  3. ^ [9], [10]
  4. ^ [9], [10]
  1. ^ ファルブラヴ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年2月15日閲覧。
  2. ^ 飛霸 - 馬匹資料”. hkjc.com. 2021年2月15日閲覧。
  3. ^ Racing: Falbrav the best in the world by a mile The INDEPENDENT 2015年6月11日閲覧
  4. ^ 亀谷敬正(2018)『勝ち馬がわかる血統の教科書』池田書店 pp. 106-107.
  5. ^ ファルブラヴ、ヴィクトリーが種牡馬引退 - 競馬ブック、2014年12月15日閲覧
  6. ^ “2002年ジャパンC勝ち馬ファルブラヴ死す 種牡馬としても活躍”. サンケイスポーツ. (2024年1月13日). https://www.sanspo.com/race/article/general/20240113-Y6EX6LK6RJKX5FNG2Q4MY7AZGY/ 2024年1月13日閲覧。 
  7. ^ “02年JC覇者ファルブラヴ死す、26歳 5カ国でG1・8勝 14年を最後に種牡馬引退”. 日刊スポーツ. (2024年1月13日). https://www.nikkansports.com/m/keiba/news/202401130000804_m.html?mode=all&utm_source=AMPbutton&utm_medium=referral 2024年1月13日閲覧。 
  8. ^ ラーグルフ”. JBISサーチ. 2023年1月5日閲覧。
  9. ^ a b c ファルブラヴ(IRE) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年2月15日閲覧。
  10. ^ a b c d ファルブラヴの血統表”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年2月15日閲覧。






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