| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 出典検索?: "ビルギット・プリンツ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年5月) |
経歴
幼少からサッカーに親しみ、17歳からはフランクフルトで初の女子サッカークラブ1.FFCフランクフルトに所属して活躍した。2002年からはWUSAのキャロライナ・カーレッジに移籍し、15試合の出場ながら12得点、8アシストと大活躍し、この年、クラブはリーグ優勝を果たした。2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪と、二度のオリンピックにドイツ代表の中心選手として参加し、両大会で銅メダルを獲得した。
FIFA女子ワールドカップには1995年スウェーデン大会からメンバー入りし同大会準優勝を経験、自身もグループリーグのブラジル戦で1得点を挙げた。その後の大会でも引き続き代表に選出され、2003年アメリカ大会では7得点を挙げ大会得点王とMVPを獲得しチームは初優勝、2007年中国大会も5得点を挙げてチームの2連覇に大きく貢献した。
自国開催となった2011年ドイツ大会では、ブンデスリーガ2010-2011シーズン中に負った怪我が元で不調に陥り、大会開幕後も一向に調子は上がらず、グループリーグのカナダ戦とナイジェリア戦はスタメン出場するがどちらも試合後半に途中交代を命じられ、以降はベンチメンバーとして臨んだが出場機会を与えられる事は無かった。チームはグループリーグを1位で通過するも準々決勝で日本に延長戦の末敗れベスト8で敗退し、自身も無得点。同年代の澤穂希やアビー・ワンバックらが輝きを放ったのとは対照的に、個人としてもチームとしても不本意な結果に終わった(同大会は翌2012年ロンドン五輪の欧州予選も兼ねていた為、ドイツはその出場権も逃した)。大会終了後(2011年7月)にドイツ代表から引退、翌8月に所属クラブとドイツサッカー協会を通じて現役を引退する事を表明した。
所属クラブ