ビルギット・プリンツ ビルギット・プリンツの概要

ビルギット・プリンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 06:15 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ビルギット・プリンツ
名前
ラテン文字 Birgit Prinz
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1977-10-25) 1977年10月25日(43歳)
出身地 フランクフルト
身長 179cm
選手情報
ポジション FW
代表歴
1994-2011  ドイツ 214 (128)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

幼少からサッカーに親しみ、17歳からはフランクフルトで初の女子サッカークラブ1.FFCフランクフルトに所属して活躍した。2002年からはWUSAのキャロライナ・カーレッジに移籍し、15試合の出場ながら12得点、8アシストと大活躍し、この年、クラブはリーグ優勝を果たした。2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪と、二度のオリンピックにドイツ代表の中心選手として参加し、両大会で銅メダルを獲得した。

FIFA女子ワールドカップには1995年スウェーデン大会からメンバー入りし同大会準優勝を経験、自身もグループリーグのブラジル戦で1得点を挙げた。その後の大会でも引き続き代表に選出され、2003年アメリカ大会では7得点を挙げ大会得点王とMVPを獲得しチームは初優勝、2007年中国大会も5得点を挙げてチームの2連覇に大きく貢献した。

自国開催となった2011年ドイツ大会では、ブンデスリーガ2010-2011シーズン中に負った怪我が元で不調に陥り、大会開幕後も一向に調子は上がらず、グループリーグのカナダ戦とナイジェリア戦はスタメン出場するがどちらも試合後半に途中交代を命じられ、以降はベンチメンバーとして臨んだが出場機会を与えられる事は無かった。チームはグループリーグを1位で通過するも準々決勝で日本に延長戦の末敗れベスト8で敗退し、自身も無得点。同年代の澤穂希アビー・ワンバックらが輝きを放ったのとは対照的に、個人としてもチームとしても不本意な結果に終わった(同大会は翌2012年ロンドン五輪の欧州予選も兼ねていた為、ドイツはその出場権も逃した)。大会終了後(2011年7月)にドイツ代表から引退、翌8月に所属クラブとドイツサッカー協会を通じて現役を引退する事を表明した。

所属クラブ






「ビルギット・プリンツ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ビルギット・プリンツ」の関連用語

ビルギット・プリンツのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ビルギット・プリンツのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのビルギット・プリンツ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS