パスカルの賭け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/16 03:37 UTC 版)
批判
パスカルの賭けは発表当時から様々な批判にさらされてきた。ヴォルテールは「無作法で子供っぽい… 信じることで利益が得られることが実在の証明にはならない」と書いた[9]。しかしパスカルはこの賭けが神の実在の証明だとは言っていない[10]。それは単に、確実性に対する彼の論証の帰結であり、理性が信用できないという観念と炯眼な神の実在が「コイントス」で決まるという観念によるものである。神が存在するかどうかという問題において理性が信頼できるなら、賭けはそもそも不要である。
天啓の齟齬に基づく論証
歴史上、数多の宗教が存在し、それぞれの神に実在する可能性がある。したがって、パスカルの賭けでそれらを全て考慮する必要があると主張する人もいる。これをargument from inconsistent revelations(天啓の齟齬に基づく論証)と呼ぶ。それによると間違った神を信仰する可能性が非常に高いことになり、パスカルの行った計算は間違っていることになる。ヴォルテールの同時代人であるドゥニ・ディドロはパスカルの賭けについて聞かれたときに「イマームも同じように推論できるだろう」と答え、このような見方を簡潔に表した[11]。J・L・マッキーは「救済を与えるとしているのはカトリック教会だけではなく、アナバプテストやモルモン教やスンナ派やカーリーの信奉者やオーディンの信奉者など様々なものがある」と述べている[12]。
パスカル自身は賭けの節自体では他の宗教を考慮していないが、それはおそらく『パンセ』の他の部分で(そして彼の他の作品で)ストア派、ペイガニズム、イスラム教、ユダヤ教などを検討し、どんな信仰でも正しいなら、それはキリスト教の信仰に通じるものがあると結論付けているためである。
それにも関わらず、このような批判が出てきたとき、パスカルの賭けを弁護する立場からの反論は、競合する選択肢のうち無限の幸福を与えるものだけが賭けの優勢に影響するとした。オーディンもカーリーも約束した幸福は有限で限定的であり、イエス・キリストの約束した無限の幸福には太刀打ちできず、したがって考慮に値しないとしたのである[13]。また、競合する神が約束する無限の幸福は相互排他的だとした。キリストの約束する幸福はエホバやアッラーフのそれと同時に満たされることができ(これら3つはアブラハムの宗教と呼ばれる)、間違った神を信じたときのコストが中間(辺獄/煉獄)の場合は意思決定マトリックス上で考慮に値しないが、正しい神を信じないことが罰(地獄)を生じる場合は無限のコストとなってしまう[13]。
さらに、パスカルの賭けのエキュメニズム的解釈では[14]、無名の神や間違った名前の神を信じることは、それが同じ基本的性質を備えた神である限りにおいて許容できるとする。この方向性の信奉者は、歴史上の全ての神を突き詰めていくと少数の「本当の選択肢」になるとする者と[15]、パスカルの賭けは「一般的な信仰」を人に信じさせるのが目的だとする者[16]がいる。これに対して批判者は、パスカルの賭けはあらゆる神を考慮すべきで、それぞれの宗教の来歴は無関係だとしている[17]。
神は信仰に報いる
パスカルの賭けは次のような選択肢だけを用意している。
- 慈悲深い神が存在し、各人の信仰の有無に従って罰したり報いたりする。
- 慈悲深い神は存在しない。
「これは間違ったジレンマという論理的誤謬を犯している」という。
ドーキンスは「神は慈悲深くない、あるいは信仰に報いないという可能性もある。慈悲深い神は定義上、罰したり報いたりする判断基準として各人の信仰を優先し、各人の行動(優しさ、寛大さ、謙譲、正直さ)は二の次である。しかし、神は信仰とは無関係に各人の正直さに報いるかもしれない[18]」と主張した。
Richard Carrier はこの考え方を次のように発展させた。
「 | 私たちを見ていて、亡くなった人のどの魂を天国に連れて行くかを選んでいる神がいて、その神が本当に道徳的に善良な人だけが天国に住むことを望んでいるとする。神はおそらく、真実を発見するために重要で責任ある努力をした人だけを選ぶと考えられる。それ以外の者は信用できず、認知的にも道徳的にも劣っているか、あるいはその両方を持ち合わせているからだ。彼らはまた、善悪についての真の信念を発見し、それに専念する可能性が低いと考えられる。つまり、もし彼らが正しいことをして間違ったことを避けたいと思う気持ちが大きく、信頼できる関心事を持っているならば、必然的に、善悪を知りたいと思う気持ちが大きく、信頼できる関心事を持っていなければならないということになるのである。この知識は、宇宙の多くの基本的な事実(神がいるかどうかなど)についての知識を必要とするので、そのような人々は、そのようなことについての自分の信念がおそらく正しいことを常に探し出し、試みを行い、確認しようとする重要であり信頼できる関心を持たなければならない。したがって、そのような人々だけが、天国に入るに値するほど道徳的で信頼できる存在でなければならない。[19] | 」 |
これによれば、信心しない正直者に報い、嘘つきの信仰者を罰する神を想定していないことから、上で示した表は不正確ということになる。改良版は次のようになるという[誰?]。
神は信仰する者に報いる | 神は信仰しない者に報いる | 神はいない | |
---|---|---|---|
信仰する | +∞ (天国) | 未定義 | 結果なし |
信仰しない | 未定義 | +∞ (天国) | 結果なし |
これに対して、このような仮説は宗教一般が持つ伝統を無視したものであって、考慮に値しないという主張もある(衆人に訴える論証を参照)。より正確にいえば、このような新たな仮説が真である確率はゼロ(またはごく小さい[疑問点 ])であり、パスカルの期待値計算に影響しない、とする。すると、議論は確率の割り当て方の合理性の問題に及んでいく[13]。
反パスカルの賭け
リチャード・ドーキンスは著書『神は妄想である』の中で「反パスカルの賭け」とでもいうべき主張をした。「神が実在する可能性がわずかながらあるとしよう。そうだとしても、神が実在することに賭けて信仰し、捧げ物をし、神のために戦い、神のために死ぬよりも、神が実在しないことに賭けた方が充実した一生を送ることができるだろう」[20]と述べたのである。だが、パスカルは上述したように、このような反論は予想していた[要出典]。
信念を意識的に選択できるという前提
この賭けは、人が意識的に選択できることを前提としている。しかし信念を意識的に選択することはできないと主張する批判者らは、パスカルの賭けは神への信仰を意識的に装ったものに過ぎないという。さらに「全能の神がいるなら、そんなごまかしは通用しないだろう」と主張する[21]。
- ^ Alan Hájek, Stanford Encyclopedia of Philosophy
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