トップス広島 トップス広島の概要

トップス広島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 15:08 UTC 版)

広島トップスポーツクラブネットワーク
Hiroshima Top Sport Club Network
略称 トップス広島 (TOPS Hiroshima)
国籍 日本
格付 NPO法人
専門分野 教育系(スポーツ振興、子どもの健全育成)
設立日 2000年4月
代表者 松田眞二(JT広島支社調査役)
活動地域 広島県
主な事業 スポーツを通じた社会貢献。特に未来を担う子供たちへの活動に注力
郵便番号 734-0007
事務所 広島市南区皆実町二丁目8番42号猫田記念体育館1F事務所内
予算 約500万円(2018年度)
主な協力組織 広島県スポーツ推進課、広島市スポーツ振興課等
関係する組織 日本トップリーグ連携機構
外部リンク https://www.tops-h.net/
特記事項 当初任意団体として設立、2004年2月にNPO法人化。事務局はJTサンダーズ広島バレー事務局内に同居。
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広島県を本拠地とするチームが「すべての広島の人々がすべての広島のスポーツを応援するような、郷土愛あふれる広島の実現(オール広島 オールスポーツ)」のスローガンのもと、異競技交流を通じてスポーツの普及振興を目指す組織である[2][1][3][4]

日本で初めて結成された異競技連携組織[2][3]。参加団体は2022年7月時点で10競技11団体、基本的に各競技のトップカテゴリに所属するチームが参加している。参加団体の各ユニフォームやトレーニングウェア等の袖に「トップス広島ロゴ」が入っている[注 1]

具体的な活動としては、広島市内の小学校の体育授業への選手の派遣や広島県内の小中学校への選手や監督などの派遣、競技力向上を目的としたスポーツ教室、地域イベント等への参加など[2][3]。また他競技間の選手の中で横のつながりもできたという[2]

参加

現在
チーム 競技・性別 リーグ 母体企業
(セミプロ・アマのみ)
加入
サンフレッチェ広島 サッカー男子 Jリーグ[注 2] - [注 3] 2000
JTサンダーズ広島 バレーボール男子 Vリーグ 日本たばこ産業
安芸高田ワクナガハンドボールクラブ ハンドボール男子 JHL 湧永製薬
イズミメイプルレッズ ハンドボール女子 JHL イズミ[注 4]
広島ガスバドミントン部 バドミントン女子 S/Jリーグ 広島ガス 2001
NTT西日本ブルーグランツ ソフトテニス男子 日本リーグ NTT西日本[注 5] 2004
中国電力陸上競技部 陸上競技男子 - 中国電力 2005
コカ・コーラレッドスパークス ホッケー女子 日本リーグ コカ・コーラボトラーズジャパン[注 6] 2006
広島東洋カープ 野球男子 NPB - 2009
広島ドラゴンフライズ バスケットボール男子 Bリーグ - 2020
ヴィクトワール広島 自転車ロードレース男子 JCL - 2022
過去

沿革

1993年にサッカーJリーグは社会現象になるほど華々しく開幕したが、1995年以降Jリーグバブルが弾け観客動員に減少傾向が見られるようになった。これに危機感を抱き、更なる企業スポーツからの脱却と地域社会への貢献を目指し、1996年Jリーグ百年構想を発表する[5]。時を同じくして、サッカー以外のスポーツにもバブル崩壊の影響から企業スポーツの撤退・廃部・休部が続出していた[6][7]。その状況に危機感を持ち1999年12月、サッカー(Jリーグ)・ハンドボール(JHL)・バスケットボール(JBL)・バレーボール(JVL)の4競技における国内リーグ代表者らが異競技チーム連携に向けて集まり、現状打開のテストケースとして広島[注 7]に提案した[6][7]

2000年4月、任意団体として正式に結成[2]。当初は、サンフレッチェ広島、JTサンダーズ(現JTサンダーズ広島)、湧永製薬男子ハンドボール部(ワクナガレオリック)およびイズミ女子ハンドボール部(現イズミメイプルレッズ)、広島銀行ブルーフレイムズ、の4競技5団体で結成した[2][1]。こうした経緯から、発足当初はJリーグ百年構想を共通理念とし、広報・スポーツ振興・地域アピールとともに観客動員での相乗効果をも期待していた[6]。翌2001年、広島ガスバドミントン部が加入。創設の理念とは相反してイズミおよび広銀が廃部の危機にさらされる。結果広銀は廃部となってしまうも、イズミは広島メイプルレッズとしてクラブチーム化し存続することとなった。

2003年、活動の拡大に伴い今後の維持と発展を目指しtotoの収益配分や行政の援助などを受けやすくするため、NPO法人申請を行い、2004年2月9日に認証された[8]。同年にはNTT西日本広島ソフトテニスクラブ(現NTT西日本ソフトテニス部)、翌2005年中国電力陸上競技部、2007年コカ・コーラウエストレッドスパークスホッケー部(現コカ・コーラレッドスパークスホッケー部)が加盟した。

2007年当時はスポーツ教室の開催以上の展開は見られず、一般への知名度が低いままであった[3]。2008年・2009年の報道でも一般への認知度の課題について触れられている[9][2]。状況を打開するべく、2008年度から各チームの実務担当者が定期的に集合し定例会議を開いたり、隔月広報紙を発行している[2]

2009年にはこれまでプロ野球組織・選手による現役高校生・大学生への指導に制限のある日本学生野球憲章との兼ね合いから参加を見合わせていた広島東洋カープが加入[注 8][2]

2010年12月、新たな財源確保としてコカ・コーラが展開する飲料自動販売機の売上の一部を寄付にあてる支援型自動販売機設置を採用する[11]。その「トップス広島支援自販機」1号機を広島信用金庫本社前に設置した[11]。2011年3月に発生した東日本大震災を受けて、酒井大祐髙萩洋次郎など当時所属9チームの東北出身の選手を含めた72選手で、災害復興支援の街頭募金活動を行った[12]。 また、2018年8月には、地元広島も甚大な被害を受けた西日本豪雨災害の支援活動として、また2019年11月にも、東日本を襲った台風19号の災害支援活動として、街頭募金活動を行った。

2020年4月、広島ドラゴンフライズが加盟[4][注 9]。2022年6月にはプロ自転車ロードレースチームのヴィクトワール広島が加盟した。


  1. ^ a b ただし日本野球機構及びセントラル・リーグの規定で、ホーム用のヘルメットとユニフォームの左袖・右袖のいずれかにしか掲示できないことに加え、既に右袖・ヘルメット共マツダの広告としているため、広島東洋カープは掲示を見合わせている。また、サンフレッチェ広島も以前は国内用ユニフォーム右袖のJリーグロゴの上に掲示していたが、2022年のユニフォームには掲示がない。
  2. ^ 同一運営のWEリーグ加盟女子チーム・サンフレッチェ広島レジーナも含めるかは不明。
  3. ^ マツダの実業団マツダSCをプロ化して発足。
  4. ^ イズミの実業団として設立、2001年クラブチーム化、2019年再びイズミの実業団化。
  5. ^ かつてはNTT西日本広島支社のサークルでそこに所属する日本代表選手のみ「個別認定選手」としてNTT西日本本体からサポートされていた。2015年女子選手全員がクラブチーム「どんぐり北広島」に移籍し、男子のみとなる。のちに本体のシンボルチーム(実業団)に格上げ。
  6. ^ 山陽コカ・コーラの実業団として発足。組織再編によりコカ・コーラウエスト、次いで現在のコカコーラボトラーズの実業団となる。
  7. ^ それぞれの協会内関係者に広島出身者がいたため、かつそれぞれの国内リーグのトップチームが広島にそろっていたため提案しやすかった[6]
  8. ^ 野球憲章の他にも、当時球団としての直接のスポーツ普及事業に消極的な姿勢をとっていたことから[2](野球教室などの普及活動は主に外部組織であるOB会が行っていた)、当初カープは参加には消極的であった。一方トップス側は設立当初からカープの加入を期待していた[6]が、松田元オーナーの2006年インタビューによるとトップス側からオファーがなかったという[10]。そこで加藤喜作の甥である加藤義明・広島県体育協会会長が仲介した形でカープ加入となった[9]。ちなみにカープとサンフレッチェの2チームは2007年から広島交響楽団も加えてP3 HIROSHIMAというプロ3団体共同プロジェクトを発足させている。
  9. ^ 正式加盟後にB1リーグ昇格およびB1ライセンスを取得している。
  1. ^ a b c 百年構想 トップス広島”. Jリーグニュース (2000年8月31日). 2013年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k “地域貢献、道半ば トップス広島が活動10年”. 中国新聞 (中国新聞社). (2009年8月29日). オリジナルの2020年4月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140307081101/http://www1.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200908290201.html 2020年4月1日閲覧。 
  3. ^ a b c d 広島の異競技連携「トップス広島」”. Jリーグニュース (2007年10月). 2012年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月1日閲覧。
  4. ^ a b トップス広島加盟のお知らせ”. 広島ドラゴンフライズ (2020年3月27日). 2020年4月1日閲覧。
  5. ^ Jリーグ百年構想と「地域スポーツ」”. 情報誌「岐阜を考える」 (1999年). 2020年4月1日閲覧。
  6. ^ a b c d e “アマスポーツNOW 企業 11 異競技連携”. 中国新聞 (中国新聞社). (2000年9月1日). オリジナルの2006年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060614021316/http://www1.chugoku-np.co.jp/sports/now/611now.html 2020年4月1日閲覧。 
  7. ^ a b “アマスポーツ 企業 看板チーム相次ぐ休廃部”. 中国新聞 (中国新聞社). (2000年2月4日). オリジナルの2020年4月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060614021316/http://www1.chugoku-np.co.jp/sports/now/611now.html 2020年4月1日閲覧。 
  8. ^ “トップス広島が設立総会”. 中国新聞 (中国新聞社). (2003年10月24日). オリジナルの2003年12月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20031211190559/http://www.chugoku-np.co.jp/sports/Sp03102401.html 2020年4月1日閲覧。 
  9. ^ a b “カープ、トップス広島に参入 スポーツ振興に協力”. 中国新聞 (中国新聞社). (2008年12月20日). オリジナルの2020年4月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140307093518/http://www1.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200812200089.html 2020年4月1日閲覧。 
  10. ^ “松田オーナーに直言「双方向」がキーワード”. 中国新聞 (中国新聞社). (2006年1月3日). オリジナルの2006年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20060430234937/http://www.chugoku-np.co.jp/baseballdome/toku060103.html 2020年4月1日閲覧。 
  11. ^ a b “自販機で広島のスポーツ支援”. 中国新聞 (中国新聞社). (2010年12月18日). オリジナルの2011年1月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20110128053518/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201012180015.html 2020年4月1日閲覧。 
  12. ^ “トップス広島選手が震災募金”. 中国新聞 (中国新聞社). (2011年4月5日). オリジナルの2011年4月11日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20110411034239/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201104050078.html 2020年4月1日閲覧。 


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