チューク諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 07:51 UTC 版)
チューク諸島の衛星画像(南が上)。左下の大きな島がウェノ島(春島)、その上がトノアス島(夏島)ほか。中央がウドット島(月曜島)、右がトル島(水曜島)ほか。 | |
地理 | |
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場所 | 西太平洋カロリン諸島 |
座標 | 北緯7度25分 東経151度47分 / 北緯7.417度 東経151.783度座標: 北緯7度25分 東経151度47分 / 北緯7.417度 東経151.783度 |
島数 | 248 |
面積 | 93.07 km2 (35.93 sq mi) |
最高標高 | 443 m (1453 ft) |
行政 | |
州 | チューク州 |
人口統計 | |
人口 | 3万6158(2010年時点) |
現在はミクロネシア連邦のチューク州に属し、州都・ウェノなど州の主な機能が集まっている。
歴史
チューク環礁に人類が辿り着いたのは西暦の紀元前だと考えられている。具体的なルーツははっきり解っていないが、現在のところ最も有力な説は、ソロモン諸島やビスマルク諸島方面からアウトリガー・カヌーに乗って北上してきた航海者たちがこの島々に住み着いたというものである。
その後スペインの植民地となり、次いでドイツ帝国の植民地を経て、第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国の委任統治領となり、1922年に南洋庁の支庁が置かれた。
武装化は禁止されていたが、1933年の国際連盟脱退、1936年のワシントン海軍軍縮条約失効などにより、加速度的に基地の整備が推進され戦略上の要衝となり、第二次世界大戦の敗戦まで統治を継続した。その後はアメリカによる国連信託統治を経て、1986年のミクロネシア連邦独立に至る。
政治
ミクロネシア連邦の一州を為しているが、同時に古代からの首長制も残存している。首長は現在でも強力な権威を持っており、無視しえない存在である。トル島(水曜島)出身で、日本プロ野球の毎日オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に所属した元投手の相沢進(1930年 - 2006年)が首長会議の議長を務めていたこともある。こうした経緯からミクロネシア連邦からの独立を求める声もあり、独立を問う住民投票を実施する計画が発表されたこともあるが実施は延期を繰り返しており、2022年現在はミクロネシアからの独立に必要な法案や投票を実施するための組織や仕組みなどの準備が整っておらず、独立が実現する見通しは立っていない[1]。
2006年時点での首長は36人。
文化
主要な言語はチューク語である。チューク環礁の離島として扱われるプルワット環礁やプンナップ島には現在も伝統的な航海術(スター・ナヴィゲーション)を伝える航法師たちが存在している。
- ^ “An abandoned dream?”. Pacific Island Times. (2022年2月8日) 2022年11月3日閲覧。
- ^ 南洋トラック島の王子来朝 新聞集成明治編年史第八卷、林泉社、1936 - 1940
- ^ 『南洋群島概観』南洋庁長官官房調査課、南洋庁、1938
- ^ 「トラック諸島の旧海軍沈没船、油流出防止を支援」『読売新聞』、2017年7月22日、夕刊。オリジナルの2017年7月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ フォトエッセイ『South-ing JEEP ISLAND』吉田宏司・文、宮地岩根・写真(ISBN 4-88380-589-1、ISBN-13:978-4-88380-589-1)
- ^ 写真集『ジープ島』中村征夫(ISBN 978-488320-411-3)
- 1 チューク諸島とは
- 2 チューク諸島の概要
- 3 自然
- 4 交通
- 5 関連項目
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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