チャールズ・ハワード・ヒントン チャールズ・ハワード・ヒントンの概要

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チャールズ・ハワード・ヒントン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 01:21 UTC 版)

チャールズ・ハワード・ヒントン
原語名Charles Howard Hinton
生誕1853年
イギリス イングランド
死没1907年4月30日(54歳)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
著名な実績4次元の研究

生涯

チャールズ・ヒントンは1853年にイギリスで生まれた。父のジェームズ・ヒントンは外科医で、一夫多妻制を提唱していた。妹に衣装デザイナーのエイダ・ネットルシップ英語版(1856 - 1932)がいる[1]

ヒントンは、チェルトナム・カレッジ英語版の教師をしながら[2]オックスフォード大学ベリオール・カレッジで学び、1877年に学士号(B.A.)を取得した。1880年から1886年まではラトランドアッピンガム・スクール英語版で教鞭を執っていたが、ここの生徒には、エドウィン・アボット・アボットの友人であるハワード・キャンドラーがいた[3]。1886年にオックスフォード大学で修士号(M.A.)を取得した。

ヒントン一家(1890年頃、日本にて)

1880年、数理論理学の創始者であるジョージ・ブールメアリー・エベレスト・ブール英語版との娘であるメアリー・エレン・ブールと結婚した[4]。2人の間には、ジョージ(1882年-1943年)、エリック(1884年生)、ウィリアム(1886年-1909年)[5]、セバスチャン(1887年-1923年)の4人の子供が生まれた。ジョージは鉱山技師・植物学者で、その孫に計算機科学者のジェフリー・ヒントンがいる。セバスチャンはジャングルジムの発明者で、その子供に、農学者・ジャーナリストのウィリアム・ヒントンと核物理学者のジョーン・ヒントンがいる。

1883年、メアリーとの婚姻関係を維持したまま、ジョン・ウェルドン(Maud Florence)という偽名でモード・フローレンス(Maud Florence)という女性と婚姻手続きを行い、双子の子供をもうけた。1886年、重婚の罪で3日間収監され、アッピンガム・スクールでの仕事を失った[6]。父のジェームズ・ヒントンは、一夫多妻制を過激に支持しており[7]、母マーガレットによると、ジェームズはマーガレットに「キリストは男性の救世主だったが、私は女性の救世主であり、彼を少しも羨ましいとは思わない」と言ったという[8]

ヒントンの火薬式ピッチングマシン

1887年、妻メアリーとともに日本に渡り、横浜の在日英国人向けの私塾ビクトリア・パブリック・スクールの校長に就任した。在職中に、雑誌の通信員として来日するも契約を破棄されていたラフカディオ・ハーンを教師として採用している。このときの生徒の中にエドワード・B・クラークがいる。

1893年にアメリカに渡り、プリンストン大学で数学の専任講師となった[6]。1897年には、プリンストン大学野球部のバッティング練習用に、火薬を使ったピッチングマシンを設計した[6][9]。しかし、この機械は数件の事故を起こしたため、ヒントンは同年の内に大学を免職になってしまった[10]。ヒントンのピッチングマシンは、火薬量を調整することによって球速を調整することができ、さらに発射口にゴムで覆った鉄製の突起を取り付けることによってカーブを投げることもできた[11]。ヒントンはその後1900年まで助教授として働いたミネソタ大学にこの機械を紹介した。1900年にワシントンD.C.アメリカ海軍天文台に移籍した[6]。晩年には、米国特許商標庁で化学特許の審査官を務めた。

1907年4月30日、ワシントンD.C.脳出血により54歳で急死した[12][13]。ヒントンの死後、妻のメアリーは1908年5月に自殺した[14]

4次元

1904年のヒントンの著書"The Fourth Dimension"(第4の次元)の扉絵。立方体を4次元に拡張した正八胞体(テッセラクト)が描かれている。なお、ヒントンの「テッセラクト」の綴りは一定しておらず、ここでは"tessaract"と表記されている。

1880年に発表された「第4の次元とは何か」("What is the Fourth Dimension?")という論文の中で、ヒントンは、3次元で移動する点は、3次元の平面を通過する直線の静的な4次元配列の連続した断面として想像できるのではないかと提案している。これは世界線という概念を先取りした考えである。ヒントンは、高次元空間を探求するには心構えが必要だとしていた。

ヒントンは、高次の空間を直観的に認識するためには、3次元の世界を観察する立場にある私たちが、右や左、上や下といった考えを捨て去ることが必要だと主張している。ヒントンは、このプロセスを「自己を追い出す」(casting out the self)と呼び、これは他者への共感のプロセスと同等のものであり、この2つのプロセスが相互に強化されていることを示唆している[15]

ヒントンは4次元の要素を表現するためにいくつかの新しい言葉を作った。『オックスフォード英語辞典』(OED)によると、ヒントンが初めて「テッセラクト」という言葉を使ったのは、1888年の著書"A New Era of Thought"(思考の新しい時代)においてである。ヒントンのオックスフォードでの知り合いで、義姉に当たるアリシア・ブール・ストット英語版が、ヒントンが国外にいる間にこの本の出版の世話をした[16]。ヒントンは、3次元の左・右(x軸)、上・下(y軸)、前・後(z軸)の方向に相当する4次元の方向を表現するために、kataanaという言葉を考案した。それぞれギリシャ語で「~から下の方へ」「~から上の方へ」の意味である[17]

ヒントンは、"What is the Fourth Dimension?"(四次元とは何か)や"A Plane World"(平面の世界)など9作品の科学ロマンスを1884年から1886年にかけてスワン・ソンネンシャイン社から刊行した。ヒントンは"A Plane World"の序文で、エドウィン・アボット・アボットが1884年に出版した『フラットランド』(Flatland)について触れ、この本は内容は似ているが意図は違うと言及している。ヒントンは、アボットは物語を「風刺や教訓を語るための舞台」として使っているのに対し、ヒントンは物理的な事実を知りたいのだと述べた。ヒントンが描いた二次元世界は、アボットの『フラットランド』のような無限に広がる平面上ではなく、円の外周に沿って存在するものだった[18]。ヒントンはアボットの作品を発展させて"An Episode of Flatland: Or How a Plane Folk Discovered the Third Dimension"を執筆した。


  1. ^ Broadbent, Lizzie (2021年1月21日). “Ada Nettleship (1856-1932)” (英語). Women Who Meant Business. 2021年3月13日閲覧。
  2. ^ Cheltenham College Register, 1841–1889. London: Bell. (1890). https://archive.org/details/cheltenhamcolle00huntgoog 
  3. ^ British Society for the History of Mathematics Gazetteer, Archived 16 May 2011 at the Wayback Machine.
  4. ^ Batchelor, George (1994). The Life and Legacy of G. I. Taylor. Cambridge University Press. p. 7. ISBN 0-521-46121-9. https://archive.org/details/lifelegacyofgita0000batc/page/7 
  5. ^ Smothers in Orchard in Los Angeles Times, 27 February 1909.
  6. ^ a b c d Bernard V. Lightman (1997). Victorian science in context. University of Chicago Press. p. 266. ISBN 0-226-48111-5 
  7. ^ A cultural history of higher space, 1853-1907 [work in progress] Mark Blacklock
  8. ^ Havelock Ellis papers, British Library.
  9. ^ Hinton, Charles, "A Mechanical Pitcher", Harper's Weekly, 20 March 1897, p. 301–302.
  10. ^ Physics in Higher-Dimensional Manifolds bottom page 5
  11. ^ Hinton, Charles, "The Motion of a Baseball", The Yearbook of the Minneapolis Society of Engineers, May, 1908, p. 18–28
  12. ^ "Scientist Drops Dead", The Washington Post, 1 May 1907.
  13. ^ Several of these references are cited in the introduction to the book Speculations on the Fourth Dimension, edited by Rudolf Rucker.
  14. ^ `My Right To Die´, Woman Kills Self in The Washington Times v. 28 May 1908 (PDF); Mrs. Mary Hinton A Suicide in The New York Times v. 29 May 1908 (PDF).
  15. ^ Anne De Witt (2013) Moral Authority, Men of Science, and the Victorian Novel, page 173, Cambridge University Press ISBN 1107036178
  16. ^ The four-dimensional life of mathematician Charles Howard Hinton” (英語). BBC Science Focus Magazine. 2021年3月13日閲覧。
  17. ^ Rucker, Rudy. “Spaceland Notes”. 2021年12月4日閲覧。
  18. ^ Hinton, Charles H.. “A Plane World”. Dover Publications. 2011年4月2日閲覧。
  19. ^ Charles H. Hinton. “An Episode of Flatland or How a Plane Folk Discovered the Third Dimension, to which is bound up An Outline of the History of Unæa”. 2021年11月16日閲覧。
  20. ^ J. P. (1907年7月11日). “Review of An Episode of Flatland...”. Nature Publishing Group. p. 246. 2021年11月18日閲覧。
  21. ^ White, Christopher G., 2018. Other Worlds: Spirituality and the Search for Invisible Dimensions. Harvard University Press.
  22. ^ Borges, Jorge Luis. The Secret Miracle. In: Fictions. Penguin Books, 2000, p. 126


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