チャールズ・ハワード (第3代ノッティンガム伯爵)とは? わかりやすく解説

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チャールズ・ハワード (第3代ノッティンガム伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 03:16 UTC 版)

第3代ノッティンガム伯爵チャールズ・ハワード英語: Charles Howard, 3rd Earl of Nottingham1610年12月25日1681年4月26日)は、イングランド貴族ハワード家出身。

生涯

初代ノッティンガム伯爵チャールズ・ハワードと2人目の妻マーガレット英語版(旧姓ステュアート、1639年8月4日没、第2代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート英語版の娘)の息子として、1610年12月25日に生まれ、クロイドンで洗礼を受けた[1]

1624年4月2日、シオバルズ・ハウス英語版騎士爵に叙された[1][2]。1626年2月10日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1627年3月15日にB.A.の学位を修得した[2]。1632年にリンカーン法曹院に、1633年にグレイ法曹院に入学した[2]

1642年10月3日に異母兄チャールズ英語版が死去すると、ノッティンガム伯爵位を継承[1]、12月19日に貴族院に初登院した[3]。同年から1657年までキングストン・アポン・テムズのハイ・スチュワード(High Steward)を務めた[1]

ハワード家は莫大な財産を有したが、傍系である第3代ノッティンガム伯爵が継承したものは少なく、ブリストルに住み、国王からの年金1,000ポンドを頼りに生活した[3]。この年金は支払いが度々延滞した上、1646年に一旦500ポンドに減額されたが、1659年に1,000ポンドに戻され、イングランド王政復古の後の1661年7月末に再確認された[3]

王政復古の後、1660年4月27日に登院して貴族院特権委員会の委員に任命され、以降1660年仮議会が終わるまで6割以上の出席率を維持した[3]。1661年から1669年までは度々貴族院に登院したが、1670年から1673年までは病気を理由に全く出席せず、1675年4月には大蔵卿の初代ダンビー伯爵トマス・オズボーンの要請に応じて、ダンビー伯爵の盟友である第3代リンジー伯爵ロバート・バーティー英語版を代理投票人に登録した[3]。ダンビー伯爵は大蔵卿としての権力を用いて、ノッティンガム伯爵への年金支払いの遅滞を解消した[3]。1677年2月に初代バース伯爵ジョン・グランヴィル英語版を、1678年11月と1679年4月に初代トレライスのアランデル男爵リチャード・アランデル英語版を代理投票人に登録した[3]

1679年4月1日に病身を押して登院したが、それを最後に登院しなくなり、1681年4月26日にモートレイク英語版の自宅で死去、ライゲート英語版で埋葬された[1][3]。ノッティンガム伯爵位は廃絶、従属爵位だったエフィンガムのハワード男爵位は叔父ウィリアム(1600年9月2日没)の曽孫フランシス英語版が継承した[4]。遺言状で金貨、衣服、家具など合計で100ポンド以上の品物を使用人ジョン・シッドール(John Syddall)に贈り、残りは友人で遺言執行者を務めたリチャード・ソーン(Richard Thorne)に譲った[3]

家族

1627年6月30日までにアラベラ・スミス(Arabella Smith、1682年1月16日没、エドワード・スミスの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1][3]

出典

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 106.
  2. ^ a b c Foster, Joseph, ed. (1891). "Horrobin-Hyte". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 748–784.
  3. ^ a b c d e f g h i j Paley, Ruth; Handley, Stuart (2016). "HOWARD, Charles (1610–81)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 3. Cambridge University Press. pp. 401–403. ISBN 9781107173491
  4. ^ "Howard of Effingham, Baron (E, 1553/4)". Cracroft's Peerage (英語). 17 July 2012. 2021年1月21日閲覧
イングランドの爵位
先代
チャールズ・ハワード英語版
ノッティンガム伯爵
第6期
1642年 – 1681年
廃絶
エフィンガムのハワード男爵
1642年 – 1681年
次代
フランシス・ハワード英語版



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