チャールズ・ハワード (初代カーライル伯爵)とは? わかりやすく解説

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チャールズ・ハワード (初代カーライル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 03:59 UTC 版)

初代カーライル伯
チャールズ・ハワード
Charles Howard
1st Earl of Carlisle
カーライル伯ハワード家
初代カーライル伯(ウィリアム・フェイソーン英語版画)
続柄 第4代ノーフォーク公トマス・ハワードの三男ウィリアム・ハワード卿英語版の曾孫

称号 初代カーライル伯、初代ハワード子爵、初代デイカー男爵
出生 1629年
死去 1685年2月24日
配偶者 アン・ハワード
子女 下記参照
父親 サー・ウィリアム・ハワード
母親 メアリー・ユアー
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初代カーライル伯爵チャールズ・ハワード英語: Charles Howard, 1st Earl of Carlisle1629年 - 1685年2月24日)は、イングランドの軍人、政治家、貴族。

ノーフォーク公爵ハワード家の分流。清教徒革命の際に議会軍の指揮官の一人だった。オリバー・クロムウェルに忠実だったが、クロムウェルの死後は王党派に転じ、王政復古後の1661年にカーライル伯爵位を与えられた。

経歴

1629年に生まれる。父は第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの三男ウィリアム・ハワード英語版の孫にあたるサー・ウィリアム・ハワード。母はその妻メアリー(第4代ユアー男爵英語版ウィリアム・ユアーの娘)[1][2]

プロテスタントに改宗し、清教徒革命(イングランド内戦)が発生すると議会派の軍指揮官としてウスターの戦いで戦功をあげた[3]

1653年ベアボーンズ議会の際にウェストモアランド選挙区英語版から選出されて庶民院議員となる。同年、国務会議の委員に就任[4]。翌1654年にはイングランド軍を率いてスコットランド軍と戦った[3]

1654年の第一議会1656年第二議会1660年仮議会でもカンバーランド選挙区英語版から選出されて庶民院議員を務める[4][2]。また1657年からは「ハワード子爵・卿(Lord Viscount Howard)」として第二院の議員になっている[1][2]

護国卿オリバー・クロムウェルに側近として重用され、その親衛隊長や軍政監を務めた[3]。しかしクロムウェルの死後には他の軍高官と対立を深め王政復古派に転じ、1659年中の一時期投獄された[3]

そのため1660年王政復古があった後も国王チャールズ2世から重用された[3]。1660年から1679年まで枢密顧問官を務め[2]、1660年から1685年にかけてはカンバーランド知事英語版ウェストモアランド知事英語版、またカンバーランド首席治安判事英語版を務めた。1672年から1685年にかけてはダラム知事も兼務した[1][2]

1663年から1664年にかけてはロシアデンマークスウェーデンへの特派大使を務め、1677年9月から1681年4月にかけてはジャマイカ総督(Governor of Jamaica)を務めた[4]

1685年2月24日に死去した[4]。爵位は長男エドワード・ハワード英語版が継承した[2]

栄典

爵位

1661年4月30日勅許状で以下の爵位を新規に与えられた[2][1]

(イングランド貴族爵位)
  • ノーサンバーランド州におけるモーペスの初代ハワード子爵 (1st Howard of Morpeth, of Morpeth in the County of Northumberland)
(イングランド貴族爵位)
  • カンバーランド州におけるギルスランドの初代デイカー男爵 (1st Baron Dacre of Gillesland, of Gillesland in the County of Cumberland)
(イングランド貴族爵位)

家族

同じハワード一門の初代エスクリックの初代ハワード男爵英語版エドワード・ハワード英語版の娘アンと結婚。彼女との間に以下の2男3女を儲ける[2][1]

  • 長男エドワード・ハワード英語版 (1646-1692) : 第2代カーライル伯爵位を継承
  • 次男フレデリック・クリスティアン・ハワード (1664-1684) : ルクセンブルク包囲戦で戦死
  • 長女メアリー・ハワード (?-1708) : 第3代準男爵ジョン・フェンウィック英語版と結婚
  • 次女キャサリン・ハワード (?-1684) :
  • 三女アン・ハワード (1650-1707) : 初代プレストン子爵英語版リチャード・グラハム英語版と結婚

脚注

出典

  1. ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Charles Howard, 1st Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2015年12月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Carlisle, Earl of (E, 1661)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 338.
  4. ^ a b c d "Howard, Charles (1629-1685)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.

参考文献

イングランド議会 (en
先代
新設
北部4カントリー選挙区
選出庶民院議員

1653年
同一選挙区同時当選者
ロバート・フェンウィック (Robert Fenwick)
ヘンリー・ドーソン
ヘンリー・オーグル
次代
廃止
先代
新設
カンバーランド選挙区英語版
選出庶民院議員

1654年 - 1656年
同一選挙区同時当選者
ウィリアム・ブリスコー英語版
次代
ウィリアム・ブリスコー英語版
サー・ウィルフリッド・ローソン英語版
先代
ウィリアム・ブリスコー英語版
サー・ウィルフリッド・ローソン英語版
カンバーランド選挙区
選出庶民院議員

1660年 - 1661年
同一選挙区同時当選者
サー・ウィルフリッド・ローソン英語版
次代
サー・パトリキウス・カーウェン準男爵英語版
サー・ジョージ・フレッチャー準男爵英語版
名誉職
空位時代英語版 カンバーランド知事英語版
及びウェストモアランド知事英語版

1660年 - 1685年
次代
第6代サネット伯爵英語版
カンバーランド首席治安判事英語版
1660年 - 1685年
カンバーランド副提督英語版
及びウェストモアランド副提督英語版

1661年 - 1685年
次代
サー・ジョン・ロウザー準男爵英語版
ダラム副総督英語版
及びノーサンバーランド副総督英語版

1661年 - 1685年
空位
次代の在位者
第3代マルグレイヴ伯爵
官職
先代
ヘンリー・モーガン (代理)
ジャマイカ総督
1678年 - 1680年
次代
ヘンリー・モーガン (代理)
イングランドの爵位
新設 初代カーライル伯爵
1661年 - 1685年
次代
エドワード・ハワード英語版



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