チャールズ・ハワード (第5代ウィックロー伯爵)とは? わかりやすく解説

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チャールズ・ハワード (第5代ウィックロー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 08:55 UTC 版)

第5代ウィックロー伯爵チャールズ・フランシス・アーノルド・ハワード英語: Charles Francis Arnold Howard, 5th Earl of Wicklow1839年11月5日1881年6月20日)は、アイルランド貴族保守党に属し、1872年から1881年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

生涯

フランシス・ハワード閣下(Hon. Francis Howard、1797年1月12日 – 1857年2月16日、第3代ウィックロー伯爵ウィリアム・ハワードの次男)と2人目の妻サラ(1892年3月15日没、チャールズ・ハミルトンの娘)の間の長男として、1839年11月5日にダブリン近郊のソーズ英語版で生まれ、12月28日に同地で洗礼を受けた[1]。父は1人目の妻との間で3男2女をもうけたが、長男ウィリアム・ジョージ(1825年 – 1864年10月19日)と次女キャロライン・ルイーザ以外は父に先だって死去した[2]

1858年11月25日、オックスフォード大学モードリン・カレッジに入学した[3]。1860年12月18日に第16軽竜騎兵連隊英語版コルネット英語版(騎兵少尉)への辞令を購入[4]、1861年1月18日に第11騎兵連隊英語版に転じた[5]。1864年から1866年までアイルランド総督付きエー=ド=カン英語版(副官)を務め[1]、1865年1月24日に中尉への辞令を購入して昇進[6]、1866年7月17日に第9ランサーズ連隊英語版に転じた[7]。爵位継承後の1870年に陸軍から引退した[1]

1869年3月22日に伯父ウィリアムが死去すると、ウィックロー伯爵位を継承した[1]。しかしチャールズの爵位継承には異議を唱えられた[1]。異議の内容はチャールズの長兄ウィリアム・ジョージが1863年2月25日にエレン・リチャードソン(Ellen Richardson、ジェームズ・リチャードソンの娘)と結婚し、同名の息子ウィリアム・ジョージをもうけたため、チャールズよりこの息子ウィリアム・ジョージの継承順位が高い、というものである[1]貴族院による審議では父ウィリアム・ジョージとエレン・リチャードソンの結婚が認められたが、2人の間で息子をもうけたことは認められなかった[1]。そのため、貴族院は1870年3月31日にチャールズによる爵位継承を承認した[1]。息子ウィリアム・ジョージは1869年時点では幼児だったが、成人した後の1891年に再び爵位と領地の継承を主張して裁判を起こし、7代伯爵の代になって再び却下された[1]

1871年から1881年までウィックロー民兵隊名誉隊長を務めた[1]。1872年6月19日にアイルランド貴族代表議員に当選、1881年に死去するまで務めた[8]。貴族院では保守党に属した[1]

1881年6月20日に生涯未婚のままラウンズ・ストリート英語版4号にある母の邸宅で死去、27日にウィックロー県キルブライド英語版で埋葬された[1]。弟セシル・ラルフが爵位を継承した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 623–624.
  2. ^ Lodge, Edmund, ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 727.
  3. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Howard, Charles Francis Arnold" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 698. ウィキソースより。
  4. ^ "No. 22461". The London Gazette (英語). 18 December 1860. p. 5100.
  5. ^ "No. 22472". The London Gazette (英語). 18 January 1861. p. 201.
  6. ^ "No. 22932". The London Gazette (英語). 24 January 1865. p. 316.
  7. ^ "No. 23139". The London Gazette (英語). 17 July 1866. p. 4039.
  8. ^ Sainty, John Christopher (1968). A List of Representative Peers for Scotland, 1707 to 1963, and for Ireland, 1800 to 1961 (英語). House of Lords Record Office. p. 41.
アイルランドの爵位
先代
ウィリアム・フォワード
ウィックロー伯爵
1869年 – 1881年
次代
セシル・ハワード



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