ターメル・スレッジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 16:18 UTC 版)
経歴
プロ入り前
カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高等学校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ進学した。
1998年のMLBドラフト45巡目(全体1330位)でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず。
プロ入りとマリナーズ傘下時代
1999年のMLBドラフト8巡目(全体245位)でシアトル・マリナーズに指名され契約。
エクスポズ〜ナショナルズ時代
2000年9月にトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した。
2004年にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場して打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めた2005年は開幕戦で、ナショナルズ第1号となる本塁打を放つ(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)も、20試合の出場に留まった。
パドレス時代
2005年12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した。2006年1月6日にはビリー・キリアン、アダム・イートン、大塚晶則とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。
2007年は100試合に出場して打率.210、7本塁打、23打点を記録した。チームメイトに、後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合もあった。
日本ハム時代
2007年12月4日に北海道日本ハムファイターズが退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として2年契約(総額285万ドル)で合意したことを発表した。背番号は10。
2008年、開幕直後は内野ゴロ、特に二塁ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半で打率が上がらなかったが、セ・パ交流戦から徐々に打率を上げて日本の野球に順応し出した。大柄ではないが、パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームでは貴重な存在となった。打順は4番・5番、指名打者での出場が多く、一塁手や左翼手としても起用された。
2009年、チームが打席の左右を交互に打順を組む「ジグザグ打線」[2]を採用したことで、5番・指名打者に定着。4番にはこの年8本塁打の髙橋信二が座り、「つなぐ4番」として好機を演出しスレッジが返す流れが定着。5月17日のオリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の軽い肉離れのため選手登録を抹消されたが、シーズン計117試合に出場。打率は.266で、目標にしていた30本塁打には届かなかったものの共にチームトップの27本塁打(リーグ3位)、88打点(リーグ4位)と前年以上の成績を残し、ポイントゲッターとしてチームのリーグ優勝に大きく貢献した。
同年のクライマックスシリーズ第2ステージでは球団初のCS進出を果たし、第1ステージを2連勝で突破し勢いに乗っていた東北楽天ゴールデンイーグルスを迎え撃った。第1戦で4-8と楽天にリードされた9回裏、1点を返して3点差の1死満塁で打席に立つと、福盛和男から放った打球がレフトスタンドへ吸い込まれる「3点差逆転サヨナラ満塁本塁打」となり、楽天の勢いを断ち切った。なおこの一打は2010年8月9日に2リーグ制移行60周年記念でNPBが現役選手と監督を対象に行った「史上最高の試合」「史上最高の名勝負・名場面」アンケートの「名勝負・名場面」部門で第1位に選ばれている。2勝1敗を王手をかけた第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決めるなど、このシリーズ4試合で2本塁打10打点の大活躍をみせ、クライマックス・シリーズMVPを獲得。
続く日本シリーズでも本塁打を放つ活躍をみせた。しかし、主砲として一定の結果を残したことで「現状の1億3,500万円からの年俸アップ」、「複数年契約」を主張する代理人側と、将来の和製大砲として期待を寄せる中田翔を育成するため「半レギュラー状態での起用」、「現状維持の年俸」、「単年契約」を提示する日本ハム球団側との間に開きがあり、保有権を喪失した12月1日に自由契約となった。日本ハムは自由契約となった後も引き続き交渉を行ったが、両者の主張は平行線を辿ったままであった。
横浜時代
その後まだ32歳で.250以上の打率と30本塁打程度を期待できる長打力をもつ左打者であるスレッジの獲得を希望する球団は複数現れ、ソフトバンク、西武らとの競合の末に横浜ベイスターズが契約。希望していた増額「1億8,000万円」の「2年契約」の評価を受け、2009年12月17日に入団が決まった。背番号は3。
2010年は、DH制のないセ・リーグでは守備は左翼手、打順は4番村田修一の後を打つ5番として出場。打率は.252であったが、交流戦前には子供が生まれたために一時帰国し、チームの低迷により9月23日をもって早々と自身のシーズンを終える[3]など少ない出場ながら自己最多の28本塁打と78打点を記録。右投手に対し打率.215と不調であったか、左打者にもかかわらず左投手に対しては打率.311と相性が良かった。
2011年は、1試合3本塁打を2度披露するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり波の激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に復帰したが、痛みが再発して4日で再び抹消され、治療のため帰国し、そのままシーズンを終えた。96試合で20本塁打と試合数の割に長打力を発揮したが、球団がアレックス・ラミレスを獲得したこともあり、12月1日に戦力外通告を受け、退団した[4]。
日本ハム復帰
2011年12月7日、古巣の日本ハムと契約することが発表され、3シーズンぶりに復帰することになった。背番号は再び10に決まった。
2012年は左翼手に中田、一塁手に稲葉が定着しているためDHでの出場、DH制のないセ・パ交流戦のセ・リーグ主催試合では代打での出場となった。主に7番打者を務め、5月22日のDeNA戦にて、史上23人目となる全球団から本塁打を達成するなど、前半戦のチームの首位争いにも貢献していたが、6月19日に左膝の検査を受けるため帰国した[5]。その後、6月30日に左大腿骨滑車溝に4度(重度)の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され[6]、リハビリが進まず、結果的に復帰できないままシーズンを終えた。オフの11月5日、球団より退団が決定したことが発表された。その後は契約する球団はなく、現役を引退した。
現役引退後
2015年にシカゴ・カブス傘下のA-級ユージーン・エメラルズ、2016年から3年間はロサンゼルス・ドジャース傘下のAA級タルサ・ドリラーズでそれぞれ打撃コーチを務めた。
2019年からはカブスの打撃コーチ補佐に就任[7]。2シーズン務め、2020年限りでカブスを退団した[8]。
2023年からはアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下AA級アマリロ・ソッドプードルズの打撃コーチを務めている[9]。
- ^ “史上初の快挙弾!叩きこんだ“スレッジ・ハンマー” - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年4月27日閲覧。
- ^ 1、3、5、7番が左打者(田中賢介、稲葉篤紀、スレッジ、糸井嘉男)、2、4、6、8、9番が右打者(森本稀哲、髙橋信二、小谷野栄一、鶴岡慎也、金子誠)
- ^ 横浜:スレッジが”有終の美”となる右前安打/巨人戦から
- ^ “2012年度選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。
- ^ スレッジ選手一時帰国のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月18日
- ^ スレッジ選手診断結果 - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月30日
- ^ Jordan Bastian (2018年11月29日). “Source: Sledge to be Cubs' asst. hitting coach” (英語). MLB.com. 2019年3月25日閲覧。
- ^ “Cubs, Terrmel Sledge Part Ways” (英語). MLB Trade Rumors. 2020年10月23日閲覧。
- ^ “Tim Bogar Named Sod Poodles Manager”. MiLB.com (2024年1月8日). 2024年2月18日閲覧。
- ^ “元日ハム・横浜のスレッジ氏がカブスの打撃コーチ補佐就任へ 公式サイトも有力と報じる”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2022年4月27日閲覧。
- ^ “元日本ハムのスレッジ獲得内定/ベイスターズ | ベイスターズ”. カナロコ by 神奈川新聞. 2022年4月27日閲覧。
- ^ 激励かと思ったら「辞めてください」 野村克也が語る楽天監督時代 dot.2013年10月14日
- ^ 野村克也×二宮清純プロ野球ぶった斬り対談 楽天快進撃の秘密 vol.2デジタル大衆2013年9月24日
- ^ 2012年選手登場曲.北海道日本ハムファイターズ.2016年11月11日閲覧。
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
J.D.ダービン ノーラン・ライアン ターメル・スレッジ カイル・ファーンズワース マット・フランコ |
横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手 |
渡辺秀武 友川賢次 ターメル・スレッジ 永野吉成 三平晴樹 |
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 |
渡辺秀武 相沢邦昭 ターメル・スレッジ 菅野光夫 永淵洋三 |
サンディエゴ・パドレスの選手 |
ジェシー・オロスコ チャーリー・ヘイガー ターメル・スレッジ ケビン・キャメロン クリス・オクスプリング |
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 |
ジョー・バレンタイン ヴァル・パスクチ ターメル・スレッジ テッド・リリー ティム・ウォーラック |
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