ジョサイア・ハーラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 09:42 UTC 版)
幼年時代
ジョサイア・ハーランは、ペンシルベニア州チェスター郡で生まれた。両親のジョシュア・ハーランとサラ・ヒンチマン[2]はクエーカーで、ジョサイアと9人の兄弟は厳格的な家庭で育てられた。父親はフィラデルフィアの貿易ブローカーで、息子たちの何人かは貿易企業に勤めるようになった。
13歳の時母親が亡くなり、ジョサイアは読書に没頭するようになった。ハーランが15歳の時に医学書とプルタルコスの伝記を読んだ、と当時の記録に残っている。彼はラテン語とギリシア語を読み、フランス語を流暢に話すことができた。また、植物学に深い情熱をもっていた。古代ギリシアと古代ローマの歴史を学び、特にアレクサンダー大王の物語に強い興味をもった。
最初の探検
1820年、ハーランは最初の探検に出かけた。父親は彼のために東側行きの商船の船乗員を確保し、インドのカルカッタ、中国の広州へ出航した。この最初の探検から帰った後、次の探検に備えている間に彼は恋に落ちた。次の探検から帰ったあとに結婚する約束をしたが、カルカッタにいるときに婚約者が約束を破り別の人と結婚した知らせを受けた[3]。この知らせを受け、ハーランはアメリカへ帰国しないことを誓った[3]。そして、その代わりを東側への探検に求めた。1824年7月、イギリス東インド会社に外科医として入隊した。東インド会社は当時ビルマとの戦争前で、外科医が不足していた。海上で彼は独学といくつかの実践で経験を積んで医師会に出頭して試験を受け、カルカッタ総合病院の外科医に任命された。1825年1月から負傷または病気で離脱するまで、ビルマで軍に勤めた。その間の1826年にヤンダボー条約が締結され終戦した。ハーランは回復後、デリーの北の町カルナルに赴任したが、1826年夏に東インド会社から去った。そして一般人としてインドに留まった。
アフガニスタン入国
シムラーに滞在した後、イギリスとパンジャーブの境界線であるサトレジ川の最先端であるルディヤーナーへハーランは移った。パンジャーブのマハラジャであるランジート・シングの下に入ることを決めた。パンジャーブに入る要請の返事を待っている間、追放されたドゥッラーニー朝のシャーであるシュジャー・シャーと会い、結局その下に入った。シュジャー・シャーからの財政援助を得て、ハーランはインダス川に沿ってアフガニスタンのペシャーワルからカーブルへ入った。そして彼は追い出そうとしているドースト・ムハンマド・ハーンとカーブルで会った。
ペシャーワルでは、インド太守のジャバー・ハーン(ドースト・ムハンマド・ハーンの弟)と会った。ジャバー・ハーンは、ドースト・ムハンマドのライバルであるシュジャー・シャーから見ると同盟国として考えられる重要な人物である。ジャバー・ハーンの下に留まっている間、ハーランはドースト・ムハンマドの影響力があまりにも強いと理解した。そしてアフガニスタンの外部から影響を及ぼすことが必要だった。彼はパンジャーブでそれを探すことにした。
ランジート・シングの配下時代
ハーランは、1829年にパンジャーブの中心地であるラホールへ行った。そこでフランス人の探検家ジャン=フランソワ・アラードを探し、アラードはハーランをマハラジャのランジート・シングへ紹介した。マハラジャはハーランに軍の役職を与えようとしたがハーランは断ったため、次にマハラジャはグジャラート州の知事を与えようとし、その前にハーランの能力を試すことにした。
1829年12月、ラホールのマハラジャに最近征服された2つの地区(ヌルプルとジャスロタ)の知事に赴任した。ハーランはここでは何をしたのかはほとんど判明していないが、おそらく成功したと思われ、1832年5月にグジャラートの知事へ移ることになった。グジャラートには、ハーランが赴任してすぐに有能で勇敢だとされるイギリス人のヘンリー・ローレンスが来た。
ヨーロッパ人の知事が任命されることは珍しかったが、ハーラン一人というわけでもなかった。ハーランの同僚であるパオロ・ダイ・アヴィタービルはワジーラバードの知事となり、ジャン=バティスト・ベンチュラは1831年にデラガジカーンの知事に任命された。ハーランは、ホームズという名前のイギリス人によってグラジャートの知事を順番に後を追われた。
- ^ Esinam Sogah (2004年). “Josiah Harlan”. 2012年2月24日閲覧。
- ^ Ancestry of Josiah Harlan
- ^ a b Michael Rubin (2006年). “The Man Who Would Be King: The First American in Afghanistan :: Reviewed”. 2012年2月24日閲覧。
- ^ Macintyre, pg. 258
- ^ Macintyre, pg. 265
- ^ “BBC NEWS > US movie actor is 'Afghan prince'”. BBC (2004年5月26日). 2012年2月24日閲覧。
- 1 ジョサイア・ハーランとは
- 2 ジョサイア・ハーランの概要
- 3 ゴール王子
- 4 帰途
- 5 関連項目
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