カストラ 生活

カストラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 13:10 UTC 版)

生活

カストラでの平時の活動は、日常生活と「軍務」または「見張り」に分類される。日常生活は正規の勤務時間の合間に営まれた。軍務は主に軍事施設としての機能維持に関するもので、例えば防壁での見張りの任務があった。

軍務時間は24時間を8分割した vigilia を基本単位として行われた[13]。その時間が来るとラッパ(金管楽器)を鳴らして知らせた。ブッキナ英語版[注釈 4]、コルニュ、チューバ (en) といった楽器が使われた。これらの楽器には音の高低を調節する機能がない。それでもこれを吹く人 (Aenatores) は様々な指令を音色で吹き分けた。

日常生活

多数並んでいる小さな柱は床を支えるもので、食料が濡れないようにするため、および害獣対策としてこのようになっていた。

カストラの1日は日の出を知らせるブッキナの音で始まる。兵たちは起床すると間もなく共同エリアに集まり、朝食をとり集会を行った。ケントゥリオ(百人隊長)はそれ以前に起き、エクィテスと共に Principia に集まることになっている。このとき連隊長やトリブヌス・ミリトゥムは既に Praetorium に集まっている。そこでは司令部スタッフがその日の軍務計画を忙しく作成している。そのミーティングでトリブヌス・ミリトゥムはその日の「合言葉」と命令を受け取る。トリブヌス・ミリトゥムはそれをケントゥリオらに伝え、ケントゥリオがそれを朝食を取り終わった部下らに伝える。

一般兵の朝の集会の主な議題は、訓練の内容だった。新兵は午前中に1回、午後に1回の計2回の訓練を受けた[2]。訓練計画立案とその監督は司令部スタッフの将校が行い、同時に複数の野営地について管理することもあった。ウェゲティウスによれば、完全武装した状態で 20-マイル (32 km) ほど歩くか、4マイルから5マイルほど走るか、川で泳ぐというのが典型的な訓練だったという。行軍の訓練も常に行われていた。

全ての兵士はあらゆる武器の使用を練習し、乗馬も訓練する。海軍基地では操船の訓練も当然行われた。兵士はあらゆる軍事技術や建築技能に精通することを要求された。弓矢、投槍、剣などの訓練は地面に立てた的 (pali) を相手に行われた[2]。訓練は非常に真面目に、かつ民主的に行われた。一般兵に混じって士官も訓練するのが普通で、時にはプラエトルや(もしその野営地にいれば)皇帝も訓練に参加した。

剣術や飛び道具の訓練はカストラの外のカンプス (campus) すなわち野原で行われたと見られている。カストラ外の訓練場は簡単に舗装することもあった。冬季は外での訓練は短縮された。カストラ外での訓練を監督する士官のために小屋を立てた可能性もある。屋内の馬術訓練場があったという考古学的証拠も見つかっている。

訓練以外にも、各兵士は基地内に仕事を持っており、事務職から職人まで様々な仕事があった。兵士は頻繁に仕事を変えた。一般に司令官は各兵士があらゆる仕事に熟練し、相互に交代可能な状態になることを望んだ。現実にはそれを達成することは難しく、そのギャップを埋めるために様々な職種の専門家 optiones(「選ばれた人」の意)もいた。例えば、工房をとりしきる熟練した技師などである。

共和政末期のアウレウス金貨

補給部門は物資を販売する形で運営されており、通貨が流通していた[14]。共和政末期から帝政初期にかけてはアウレウス金貨がよく使われた。帝政後期にはソリドゥス金貨が使われるようになった。モゴンティアークムのような大規模なカストラでは、独自の貨幣を鋳造した。カストラ内の quaestorium は詳細な帳簿をつけており、その作業は主に専門の optiones が行っていた。イギリスのヴィンドランダの遺跡から、そのような記録の一部を垣間見せるタブレットが見つかっている。その中に、日用品や生鮮食品の仕入れ、衣類などの在庫数と修繕数、食品などの売り上げといったことが記されている。ヴィンドランダでは周辺の先住民と盛んに交易していた[15]

カストラには病院(valetudinarium、後には hospitium とも)の役目もあった。アウグストゥスはローマ軍に恒久的な衛生部隊を設けた。その医師を medici ordinarii と呼び、資格を取得する必要があった。その下で医学生や一般の医者や当番兵などが働いた。すなわち、カストラの病院はその地域の医学校の機能も果たしていた[16]

士官は結婚し家族と共にカストラ内に住むことができた。一般兵にはその権利はなく、結婚できなかったが[16]、カストラの外に内縁の家族を住まわせて養うことが慣習化していた。その家族が住む村は先住民のものということもあるが、ローマ人商人が恒久的カストラの周辺に交易都市を作ることもあり、どちらの場合もカストラがそれらのスポンサーとなっていた。敵地に進軍する場合、家族は連れて行かなかった。

兵士の兵籍期間は約25年だった。それが過ぎた退役軍人には名誉除隊 (honesta missio) の証書が与えられた[17]。石に掘り込まれて現存しているものもある。この証書は退役軍人とその妻または恋人、そして子供がローマ市民であることを保証しており、辺境の軍団に入隊する者がローマ市民権を得ることが目的だったことを示している。

退役軍人はカストラ周辺で商売を始めることが多かった[14]。そうして彼らはその地に定住した。例えば聖パトリックの家系もそうした退役軍人が現地に定住したのが始まりである。

軍務

ハドリアヌスの長城付近のカストルムの遺構

日常生活と並行して「軍務」も行われた。軍務は軍隊としての厳密な規則の下で行われる軍事基地の維持に必要な各種職務である。基地全体を統括する立場にあるレガトゥスがそれらの軍務の割り当てにも責任があるが、実際には当番のトリブヌス・ミリトゥムが軍務割り当てを担当した。トリブヌス・ミリトゥムはコホルスの司令官であり、現代の軍隊で言えば大佐に相当する。6人のトリブヌス・ミリトゥムは2人1組となり、その2人で2カ月間の軍務を担当した。2人は自分達でその2カ月間の軍務監督の分担を決める。1日交代でもよいし、1カ月ずつ分担してもよい。一方が病気などで軍務に支障をきたした場合は、もう1人が代わりを務める。自身が当番の日には、そのトリブヌス・ミリトゥムがカストラ全体の事実上の指揮官としてレガトゥス並みの権限を持つことになった。

現代の軍事基地での軍務とカストラでの軍務は大まかに対応している。個別の詳細な責任分担 (curae) は、籤やローテーションや交渉など公平かつ民主的と考えられた方法で割り当てられた。特定の階級や隊にのみ割り当てられる cura もあり、例えば防壁の歩哨はウェリテスだけが受け持った。軍務は一時的または恒久的に免除されることもあり、これを immunes と呼ぶ。例えば古参兵であるトリアリイは歩兵であっても歩兵に割り当てられる軍務を免除されていた。

軍務は1カ月または2カ月単位にマニプルスまたはケントゥリア毎に割り当てられた。そして、その隊の中で軍務遂行のスケジュールを調整した。典型的な軍務としては衛兵があり、昼の衛兵excubiae、夜の衛兵を vigilae と呼ぶ。防壁の歩哨praesidia門番custodiae、特に門の前に出て見張りをする者を stationes と呼ぶ。


注釈

  1. ^ Julius Pokorny, Indogermanisches Etymologisches Woerterbuch, page 586 の kes- (palatal k) の項によると、オスク語の castrous (属格)とウンブリア語の castruo, kastruvuf (主格)はどちらも本来はカストルムと同義で、地所または土地を意味したという。オスクやウンブリアの文化についてはよくわかっていないため、それらの語が軍事的地所を意味したかどうかは不明である。
  2. ^ Cardo はドアの蝶番部分の直線を意味し、そこから派生して何らかの主軸を意味する。野営地建設にあたっては、最初に南北の中心線が引かれた、そこから左右に配置が決定されていった。Via Principalis は確かに一種の cardo である。
  3. ^ Decumana(女性形が decumanus)は decima manus に由来し、「10番目の部分」のほかに「10倍」を意味する。10倍は同時に「多大」の意味もある。また10番目の意味で解釈する場合、「またぐ」という意味もあり、cardo を最初に直角にまたぐ道であることを示すという説もある。なぜ10番目が「またぐ」という意味になるのかはわかっていない。通りに番号を付与することはよくあるので、via decumana を「直角にまたぐ通り」と解釈するよりも「10番街」と解釈した方が自然である。
  4. ^ ラテン語: buccina(ブッキナ/「ブ」にアクセント)もしくはラテン語: bucina(ブーキナ)。

出典

  1. ^ a b Lewis, Charlton T.; Short, Charles. “Castrum/Castra”. A Latin Dictionary. The Perseus Digital Library. 2010年6月5日閲覧。
  2. ^ a b c Vegetius Renatus, Flavius; Clarke, Lieutenant John (translator); unknown editor (2001年). “The Military Institutions of the Romans (De Re Militari)”. Digital Attic 2.0. Brevik, Mads. 2010年6月5日閲覧。 第3巻まで。抄訳になっている部分がある。
  3. ^ See D. B. Campbell, Roman Auxiliary Forts 27 BC-AD 378, Oxford 2009, page 4.
  4. ^ フラウィウス・ヨセフス、『ユダヤ戦記』 III.5.1
  5. ^ Ramsay, William (1875年). “Castra”. William Smith A Dictionary of Greek and Roman Antiquities. John Murray, republished on Bill Thayer's LacusCurtius site. 2010年6月5日閲覧。
  6. ^ Hanson, W.S.; Friel, J.G.P. (1995). “Westerton: A Roman Watchtower on the Gask Frontier” (PDF). Proceedings of the Society of Antiquaries of Scotland (Proc. Soc. Ant. Scot.) 125: pages 499–519. http://ads.ahds.ac.uk/catalogue/adsdata/PSAS_2002/pdf/vol_125/125_499_519.pdf 2010年6月5日閲覧。. 
  7. ^ コルネリウス・ネポス、『英雄伝』、アルキビアデス、9.3
  8. ^ pseudo-Hyginus. “De Munitionibus Castrorum”. The Latin Library. Ad fontes Academy. 2010年6月5日閲覧。 (ラテン語)
  9. ^ Polybius. “The Histories (English translation) Book VI”. The Loeb Classical Library, Volume III Section VI. 2010年6月5日閲覧。 on Bill Thayer's Polybius site.
  10. ^ Bell, Anders (2001年). “Castra et urbs romana: An Examination of the Common Features of Roman Settlements in Italy and the Empire and a System to aid in the Discovery of their Origins.”. CAC Undergraduate Essay Contest for 2000-2001. Classical Association of Canada. 2010年6月5日閲覧。
    この文献では、ギリシアの影響で四角形の設計となったという説を挙げている。この場合もインド・ヨーロッパ民族起源説を否定するものではない。
  11. ^ Smith, William (1875). “Vallum”. A Dictionary of Greek and Roman Antiquities. London: John Murray. pp. 1183. http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/secondary/SMIGRA*/Vallum.html 2010年6月5日閲覧。 
    sudes は単純な杭ではなかった。組み合わせることで3つまたは4つの枝を持つ形にできた。
  12. ^ Miranda, Frank (2002年). “Castra et Coloniae: The Role of the Roman Army in the Romanization and Urbanization of Spain” (pdf). Quaestio: The UCLA Undergraduate History Journal. Phi Alpha Theta: History Honors Society, UCLA Theta Upsilon Chapter, UCLA Department of History. 2010年6月5日閲覧。
  13. ^ Roby, Henry John (1872). A Grammar of the Latin Language from Plautus to Suetonius: Second Edition. London: Macmillan. pp. 453. https://books.google.co.jp/books?id=hRIAAAAAYAAJ&pg=PA453&lpg=PA453&dq=vigilia+roman+military+watch&source=web&ots=kxWM41KLJB&sig=_iRCGJCGywsmJs152ChaHjtoIPg&redir_esc=y&hl=ja 2010年6月5日閲覧。 
  14. ^ a b Verboven, Koenraad (2007). “Good for Business. The Roman Army and the Emergence of a 'Business Class' in the Northwestern Provinces of the Roman Empire (1st century BCE - 3rd century CE)”. In Lukas, De Blois; Elio, Lo Cascio. The Impact of the Roman Army (200 BC - AD 476). Economic, Social, Political, Religious and Cultural Aspects. Leiden & Boston: Brill. pp. 295–314. ISBN 90-04-16044-2. http://www.ancienthistory.ugent.be/history/en/Verboven_Good_for_business.pdf 2010年6月5日閲覧。 
  15. ^ Population of Vindolanda (100 AD). “(the Tablets)” (shtml). Vindolanda Tablets Online: The Roman Army: Activities. Centre for the Study of Ancient Documents, Academic Computing Development Team at Oxford University. 2010年6月5日閲覧。
  16. ^ a b Scheidel, Walter (2005年11月). “Marriage, Families and Survival in the Roman Imperial Army: Demographic Aspects” (pdf). Princeton/Stanford Working Papers in Classics. Princeton University. 2010年6月5日閲覧。
  17. ^ Roman government (160 AD). “(Military Diploma)”. Military Diploma of Discharge and Roman Citizenship 160 AD. Metz, George W. 2010年6月5日閲覧。 Legion xxiv website.





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