エロ事師たち 執筆動機・作品背景

エロ事師たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 03:33 UTC 版)

執筆動機・作品背景

野坂昭如は『エロ事師たち』について次のように説明している。

ぼくはオチンチンの小説を書きたいと考えて、「エロ事師たち」を書いた。これは決して男根魔羅、玉茎の事ではなく、はかなくあわれなオチンチン小説であり、スブやんはそれを本来の姿にもどすべく努力するドン・キホーテといえよう。 — 野坂昭如「あとがき」(『エロ事師たち』)[2]

舞台設定は、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)暮までで、執筆年とほぼ重なり、主人公の年齢も当時の作者・野坂の年齢と近く、誕生日が10月10日という点は同じになっている。主人公の住いとなっている守口市も、終戦時に野坂が住んでいたことのある地である。また、作中にブルーフィルムや、トルコ風呂白黒ショー、エロ写真、ゲイバーなど様々な昭和の風俗も織り込まれているが、野坂自身、趣味でブルーフィルムを蒐集し自宅で上映していたり、ゲイバーでバーテンをしていた経験もあり、野坂の身近にいたブルーフィルムの業者などから見聞した裏社会の断面が作品に生かされている[3][4]。また、主人公の母が神戸空襲で死んだ設定で、回想部で描写される戦火で死んだ人々のグロテスクな屍の目撃談など、空襲で養父を亡くした野坂自身の戦争体験と重なる部分も見受けられる[5]

主人公「スブやん」の名前は、当時野坂が引っ越したばかりの六本木の高層アパートの隣に住んでいた兼高かおるの母親が飼っていたの名前が「スブタ」だったことから、ヒントを得た[6]。なお、「恵子」という名前を主人公の義娘の名前に付けたのは、『火垂るの墓』のモデルとなった妹・恵子への思いがあったからだという[7]

なお、『エロ事師たち』は三島由紀夫吉行淳之介に推奨されたが、これについて野坂は71歳の時、阿川佐和子との座談で、吉行や三島が『エロ事師たち』を認めてくれなかったら、自分はここにはいないと語っている[8]


  1. ^ a b c d e f g 澁澤龍彦「解説」(文庫版『エロ事師たち』)(新潮文庫、1970年。改版2001年)
  2. ^ 野坂昭如「あとがき」(『エロ事師たち』)(講談社、1966年)
  3. ^ 野坂昭如『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』(文藝春秋、1987年)
  4. ^ 野坂昭如『東京十二契』(文藝春秋、1982年)
  5. ^ 野坂昭如『ひとでなし』(中央公論社、1997年)
  6. ^ 野坂昭如『新宿海溝』(文藝春秋、1979年)
  7. ^ 野坂昭如『アドリブ自叙伝』(筑摩書房、1980年。日本図書センター、1994年と2012年に復刊)
  8. ^ 野坂昭如「阿川佐和子のこの人に会いたい」(週刊文春 2002年8月1日号に掲載)
  9. ^ a b c d e f g h i 三島由紀夫「極限とリアリティー」(新潮 1964年1月号に掲載)
  10. ^ 三島由紀夫「川端康成への書簡」(1966年8月15日付)
  11. ^ 「さ行――「エロ事師たち」より 人類学入門」(なつかし 1989
  12. ^ 「昭和41年」(80回史 2007, pp. 156–161)
  13. ^ 「1966年」(85回史 2012, pp. 230–238)
  14. ^ いずみたくメモリアル





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