エグバート (ウェセックス王)とは? わかりやすく解説

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エグバート (ウェセックス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 00:02 UTC 版)

エグバート
 : Egberd
古英 : Ecgberht, Ecgbryht
エグバート王の肖像画

ウェセックス王英語版
在位期間
802年839年
先代 べオルトリッチ
次代 エゼルウルフ

ケント王英語版
在位期間
825年839年
先代 ボールドレッド英語版
次代 エゼルウルフ

出生 771年又は775年[1]
死亡 839年
享年64歳または68歳
埋葬 ウィンチェスター
王室 ウェセックス王家
父親 ケント王エルムンド英語版
子女
ウェセックス王エゼルウルフ
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エグバート

エグバードEgberd古英語:Ecgberht、またはEcgbryht769年頃 - 839年)は、イングランド七王国の一つ、サクソン人ウェセックス王(在位:802年 - 839年)。日本語訳によってはエジュベルフト、エグベルトとも[2]。イングランドを初めて統一した王として知られる。

生涯

ケント王国の王族で、父親はケント王エルムンド英語版。しかし先祖を辿るとチェウリンチェルディッチなどウェセックスにつながる。ウェセックス王キュネウルフが暗殺されると王位を要求するが失敗。ウェセックス王国の事実上の支配者であったアングル人の王国マーシアオファ王(在位:757年 - 796年)に追放されて、フランク王国カール大帝の庇護を受けた。その後オファが没すると802年に帰国してウェセックスの王位に就く。

最初の20年間は不明な事がほとんどだが、恐らくは先王の治世下のウェセックスで影響下にあったマーシア王国からの独立を画策していたものと思われる。 823年マーシア王ベオルンウルフエランダンの戦い英語版で破り、その後825年に後を継いだマーシア王ウィグラフ英語版を撃破。イングランドにおける覇権を手にし、827年にマーシアとハンバー川以南の領土を支配下に置き、ブレトワルダとなった。

妻をレドブルガとする文献もあるが、アングロサクソン年代記では何も語られていない。彼の後、息子エゼルウルフが王位を継承した。それまでウェセックス王国の王位はチェルディッチの末裔による権力闘争の末に決定していたが、エグバート以降はエグバートの血統が王位を継ぐ事となった。

エグバートは初めてイングランドを統一した王であるが、あくまで呼称したのはブレトワルダであり、イングランド王を初めて呼称し、同地を再統一したアゼルスタンをイングランド王国の初代君主とする見方が多い。

脚注

  1. ^ Ashley, p. 313
  2. ^ アングロサクソン年代記』、p. 73。

参考文献

先代
ベオルートリッチ
ウェセックス王
21代
802 - 839
次代
エゼルウルフ
先代
-
イングランド王
初代
825 - 839
次代
アルフレッド大王
先代
ボールドレッド英語版
ケント王英語版
34代
825-839
次代
エゼルウルフ



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