ウィリアム・スペアズ・ブルース 遠征後の時代

ウィリアム・スペアズ・ブルース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:20 UTC 版)

遠征後の時代

ジョン・マレー、ブルースの初期庇護者

スコットランド海洋学研究所

ブルースの標本コレクションは、北極と南極の10年間以上の旅で集められたものであり、恒久的な保管所を必要とした。ブルース自身もスコティアの航海の詳細な科学的報告書の出版準備をするために、基地を必要としていた。エディンバラのニコルソン通りに建物を取得し、そこに研究所と博物館を作って、スコットランド海洋学研究所と名付け、将来的にスコットランド国立海洋学研究所とする大望があった。公式には1906年にアルバート大公によって開所された[48]

ブルースはこの建物の中に、気象学と海洋学の装置類も収容し、将来の遠征に備えた。そこではナンセン、シャクルトン、ロアール・アムンセンなど、仲間の探検家とも会った。しかしその主要な任務は、スコットランド国営南極遠征の科学的報告書を準備する計画の推進だった。これには多額の費用がかかり、またかなり遅れたまま、1907年から1920年の間に出版されたが、1巻のみすなわちブルース自身の日誌は、再発見された後の1992年になって出版された[49]。ブルースは、1839年から1843年にジェイムズ・クラーク・ロスと共に南極に旅していたジョセフ・ダルトン・フッカー卿など専門家との文通を幅広く維持していた。ブルースはその短い著作『極地探検』をフッカーに献呈した[48][50]

1914年、さらに恒久的な収容施設を見つける方向で検討が始まった。これにはブルースの収集品と、その年に亡くなった海洋学者ジョン・マレー卿のチャレンジャー号の標本と図書が対象だった。ブルースは新しい会館をマレーの記念に創設すべきと提案した[51]。その提案には全会一致の賛成があったが、そのプロジェクトは戦争の勃発によって妨げられ、復活されることはなかった[52][53]。スコットランド海洋学研究所は1919年まで運営されたが、この年にブルースが健康を害し、閉鎖を余儀なくされた。その収集品はスコットランド博物館、王立スコットランド地理学会、およびエディンバラ大学に分散保管された[48]

さらなる南極遠征計画

1910年3月17日、ブルースは王立スコットランド地理学会に、新しいスコットランド南極遠征の計画を提出した。その計画はコーツランドの中あるいは近くで越冬する隊を想定し、一方で船は大陸の反対側ロス海にも別のグループを運ぶこととしていた。2年目にコーツランドの隊が大陸を徒歩で横切って南極点を通過し、ロス海の隊が南に進んでコーツランド隊と落ち合い帰還を支援することになっていた。この遠征では広範な海洋学など科学的研究も遂行することになっていた。総費用は約5万ポンド(2014年換算で445万ポンド)と推計していた[54][55]

王立スコットランド地理学会はこの提案を支持し、またエディンバラ王立協会、エディンバラ大学、その他スコットランドの機関も同様だった[56]。しかし、タイミングが悪かった。ロンドンの王立地理学会はスコット大佐のテラノバ遠征に掛かりきりであり、ブルースの計画に何の興味も示さなかった。裕福な資金提供者も出てこなかった。資金的裏付けを求めて政府に対して執拗に強力なロビー活動を行ったが、無駄だった[54]。ブルースはいつも通り、その努力が年寄りだが今も影響力を持つマーカムに邪魔されていると疑った[57]。最終的にその計画は実現できないことを認め、アーネスト・シャクルトンへの寛大な支持と助言に切り替えた。シャクルトンはブルースの計画に類似した帝国南極横断探検隊の計画を1913年に発表した[58]。シャクルトンは政府から1万ドルを受け取っただけでなく、民間からも多額の寄付を集めた。その中にはスコットランドの工業資本家ダンディのジェイムズ・ケアード卿からの24,000ポンドも入っていた[59][F]

シャクルトンの遠征は英雄的な冒険だったが、その主目的である南極大陸横断には完全に失敗した。1916年にその遠征隊の救援が必要になったときに、ブルースは救援委員会から相談を受けなかった。ブルースは「私自身は、ツィードの北にあるので、彼らは死んでると思ったに違いない」と記していた[60]

スコットランド・スピッツベルゲン・シンディケート

1898年と1899年にアルバート大公とスピッツベルゲンを訪れたとき、ブルースは石炭、石膏の存在を見破り、おそらく石油もあると考えた。1906年と1907年の夏、ブルースは再度大公と共にこの多島海に行った。その主目的はプリンス・カール・フォーランド島の測量と地図化であり、この島は以前の航海のときには上陸していなかった。ここでブルースはさらに石炭の鉱脈を発見し、鉄鉱脈の兆候も見つけた[61]。1909年7月、ブルースは鉱物探査会社スコットランド・スピッツベルゲン・シンディケートを設立した[62]

当時、国際法では、スピッツベルゲンは「無主地」と見なされており、鉱業権や採掘権は登録さえすれば確立された[63]。ブルースのシンディケートは、この地域の中でもプリンス・カール・フォーランド島と、バレンツ島エッジ島に所有権を登録した[64]。1909年夏、4,000ポンド(目標額6,000ポンド)が、詳細探査遠征の費用を賄うために投資された。これにはチャーターした船と科学チーム全体が入っていた。しかしその結果は「失望させられる」ものであり[65]、その航海でシンディケートの資金のほとんど全てを吸収してしまった。

ブルースはその後1912年と1914年の2度スピッツベルゲンを訪れたが、第一次世界大戦の勃発のためにそれ以上の開発はできなかった[66]。しかし1919年初期、昔のシンディケートが、より大きく財政の裏付けのある会社に変わった。ブルースは石油を発見することを大いに期待したが、1919年と1920年の科学調査ではその存在を確定できず、新しく石炭と鉄鉱石の鉱脈が発見されたに留まった[61]。この後でブルースは重病になり、関与が続けられなくなった。新しい会社はこの将来有望な事業にその資本の大半をつぎ込み、様々に所有者が変わって1952年まで存在し続けたものの、採鉱から利益を出したという記録は無い。その資産と権利はあるライバル会社に買収された[67]


  1. ^ 実際にブルースは医学の勉強を始めず、医師としての資格を取らなかった。後のドクターという肩書は名誉学位である
  2. ^ ブルースがこの一家と親しんだことは後に大きな恩恵となった。数年後の南極遠征では財政的援助をしてくれた
  3. ^ マーカムの手紙の調子、特に「誤ったライバル関係」というからかいは、その後も長くブルースを苦しめた。1917年に彼の国会議員チャールズ・エドワード・プライスに宛てた手紙では、この言葉を引用していた。このときブルースは極地メダルに対する運動を続けていたSpeak, pp. 129–31
  4. ^ 船と岸の隊員リストについては文献Speak, pp. 67–68を参照
  5. ^ まだ探検されていなかった南極大陸を、王立地理学会は便宜上4つの地理的区域に分けた。すなわち、ろす、ビクトリア、エンダビー、ウェッデル海である
  6. ^ この献金は少なくとも2008年換算で150万ポンドの価値があった(Measuring Worth)。ブルースとの関係が知られていないケアードは、ケアード海岸(コーツランドの一部で、以前にブルースが命名した)と命名することでシャクルトンに対する寛大さの報償を受けた。また捕鯨船ジェイムズ・ケアードという船名もあり、シャクルトンがボートでサウスジョージアまで救援に行ったものだった
  7. ^ この名誉学位に基づき、その後のブルースは「ブルース博士」と呼ばれた。ただし、このような呼び方はイギリスの名誉学位の一般的使われ方ではない。
  8. ^ トマス・ロバートソン、スコティア船長
  9. ^ イギリスの記者によるブルースの扱い方の例がHuxley, Scott of the Antarctic, p. 52にある。「ブルースの冒険はスコティアでウェッデル海への航海が簡単に終わった。これも海氷に阻まれ、陸地に到着することなく戻った」
  1. ^ Speak, pp. 21–23.
  2. ^ Speak, p. 23.
  3. ^ a b Speak, pp. 24–25.
  4. ^ Speak, p. 25.
  5. ^ Speak, pp. 28–30.
  6. ^ Speak, p. 29.
  7. ^ Speak, p. 31.
  8. ^ Speak, p. 33.
  9. ^ Letter to H. R. Mill, 31 May 1893, quoted in Speak, p. 34.
  10. ^ a b Letter to "Secretaries of the Royal Geographical Society", quoted in Speak, pp. 34–35.
  11. ^ Letter to H. R. Mill, June 1893, quoted in Speak, p. 36.
  12. ^ a b Speak, pp. 38–40.
  13. ^ Speak, pp. 41–45.
  14. ^ Speak, p. 44.
  15. ^ a b Fleming, pp. 261–62.
  16. ^ Fleming, p. 261.
  17. ^ a b c Speak, pp. 49–51.
  18. ^ Speak, p. 50.
  19. ^ Speak, pp. 50–51.
  20. ^ Speak, p. 51.
  21. ^ a b Speak, pp. 52–57.
  22. ^ Goodlad, Voyage of the Scotia.
  23. ^ Speak, p. 54.
  24. ^ Speak, pp. 54–55.
  25. ^ Speak, pp. 56–57.
  26. ^ Speak, p. 57.
  27. ^ Speak, pp. 59–63.
  28. ^ Speak, p. 60.
  29. ^ Gazetteer for Scotland.
  30. ^ Speak, pp. 61–63.
  31. ^ a b c d Speak, pp. 69–74.
  32. ^ Speak, pp. 71–72.
  33. ^ Speak, p. 72.
  34. ^ Speak, pp. 73–74.
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  36. ^ Speak, pp. 75 and 122.
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  39. ^ Rudmose Brown, p. 33.
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  41. ^ Rudmose Brown, p. 98.
  42. ^ Speak, pp. 85–86.
  43. ^ Rudmose Brown, p. 121.
  44. ^ Rudmose Brown, p. 122.
  45. ^ a b c Collingridge, Diary of Climate Change.
  46. ^ a b c Speak, pp. 14–16.
  47. ^ a b Speak, p. 96.
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  49. ^ Speak, p. 100.
  50. ^ Bruce, Polar Exploration.
  51. ^ Goodlad, The legacy of Bruce.
  52. ^ Speak, p. 101.
  53. ^ Swinney.
  54. ^ a b Speak, pp. 118–23.
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  56. ^ Speak, p. 120.
  57. ^ Speak, pp. 122–23.
  58. ^ Huntford, p. 367.
  59. ^ Huntford, pp. 376–67.
  60. ^ Speak, pp. 124–25.
  61. ^ a b Goodlad, After the Scotia expedition.
  62. ^ Speak, pp. 104–07.
  63. ^ Speak, p. 104.
  64. ^ Map, Speak, p. 110.
  65. ^ Speak, p. 105.
  66. ^ Speak, pp. 106–07.
  67. ^ Speak, p. 117.
  68. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients (PDF)”. Royal Geographical Society. 2016年11月26日閲覧。
  69. ^ a b Speak, p. 138.
  70. ^ Speak, p. 108.
  71. ^ Speak, pp. 128–31.
  72. ^ Speak, p. 129.
  73. ^ Speak, pp. 129–31.
  74. ^ Speak, pp. 131–34.
  75. ^ Speak, p. 132.
  76. ^ Speak, pp. 125–26.
  77. ^ Speak, p. 133.
  78. ^ Speak, p. 134.
  79. ^ Speak, p. 135.
  80. ^ BBC, The Last Explorers, Episode 2 of 4, William Speirs Bruce
  81. ^ Speak, p. 14.
  82. ^ Speak, p. 8.
  83. ^ Speak, p. 15.
  84. ^ Speak, p. 128.
  85. ^ Speak, p. 16.
  86. ^ Rudmose Brown, p. xiii.
  87. ^ Speak, pp. 97 and 131.
  88. ^ Speak, p. 59.





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