ウィリアム・スペアズ・ブルース
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その後の人生
極地メダルの保留
ブルースはその生涯を通じて多くの表彰を受けた。1904年には王室スコットランド地理学会の金メダル、1910年には王立地理学会の金メダル(パトロンズ・メダル)[68]、1913年にはニール賞と王立エディンバラ協会のメダル、1920年にはアメリカ地理学会のリビングストン・メダルを受けた。またアバディーン大学からは名誉博士号を受けた[69][G]。しかしこれらの栄誉があっても、王立地理学会の推薦に基づいて国王から渡される極地メダルの対象から外されたままだった。このメダルは20世紀初期のイギリスやその連邦の南極探検隊全ての隊員に授与されたが、スコットランド国営南極遠征隊は例外であり、メダルは保留された[70]。
ブルースや彼に近い者達はこの件でマーカムを非難した[47]。この件に関しては影響力を持つと考えられる人々に繰り返し提起された。スコティア航海の年代記編者で後にブルースの最初の伝記を書いたロバート・ラドモーズ・ブラウンは、1913年に王立地理学会長宛てに手紙を書き、このような無視は「スコットランドとその努力に対する軽視」であると記した[71]。ブルースは1915年3月に王立エディンバラ協会長に手紙を書き、同会長はその返書で「マーカムは回答しなければならないことが多い」と同意していた[72]。1916年にマーカムが死ぬと、ブルースは長い手紙を下院議員のチャールズ・プライスに送り、クレメンツ卿のブルースとスコットランド遠征隊に対する悪意を詳述し、自分の古い仲間たちのために心を震わせる嘆願で締め括っていた。「ロバートソンは[H]受けて当然の白リボンなしに死にかけている。仲間は死んだ!! 一等機関士は死んだ!!! 皆が他の極地遠征に仕えた者達と同じ良き者達であり、それが白リボンをまだ受けていない。」[73]この嘆願にも何の反応も無かった。
1世紀近く後に、この件がスコットランド議会で問題にされた。2002年11月4日、スコットランド議会議員マイケル・ラッセルが、スコットランド国営南極遠征100周年に関する動議を出した。その提案は、「ブルースが20世紀初期の極地科学遠征の中心人物の1人だったことを認め、ウィリアム・スペアズ・ブルース博士に極地メダルを死後授与するこを、極地メダル諮問委員会が推薦すべき」としていた。それにも拘わらず、2008年8月時点でメダル授与は行われていない。
晩年
1914年に第一次世界大戦が勃発した後、ブルースの鉱物探査事業は中断された。海軍本部への勤務を申し出たが指名を得られなかった。1915年、セーシェルに本拠を置く捕鯨会社から支配人とマネジャーの職を受け、そこで4か月を過ごしたが、その事業は失敗した[74]。イギリスに戻ると、海軍本部に小さなポストをやっと確保できた[75]。
ブルースはスコットランド国営南極遠征とイギリス遠征隊の待遇のはっきりした違いについて認知を求める活動を続けた[76]。終戦になると、様々な利権を復活させようとしたが、健康が悪化し、その研究室も閉鎖するしかなくなった。1920年にはスピッツベルゲンに助言者の役割で旅したが、詳細な作業には参加できなかった。それから戻ると、エディンバラ王立病院、さらに後にはリバートン病院に入院させられ、1921年10月28日にそこで死んだ[77]。その遺志に従い火葬にされ、遺灰をサウスジョージアに運んで、南極海で撒かれた[78]。ブルースは収入が安定せず、概して金を持たなかったが、その資産は7,000ポンド(2014年評価額で27万ポンド)と評価された。
- ^ 実際にブルースは医学の勉強を始めず、医師としての資格を取らなかった。後のドクターという肩書は名誉学位である
- ^ ブルースがこの一家と親しんだことは後に大きな恩恵となった。数年後の南極遠征では財政的援助をしてくれた
- ^ マーカムの手紙の調子、特に「誤ったライバル関係」というからかいは、その後も長くブルースを苦しめた。1917年に彼の国会議員チャールズ・エドワード・プライスに宛てた手紙では、この言葉を引用していた。このときブルースは極地メダルに対する運動を続けていたSpeak, pp. 129–31
- ^ 船と岸の隊員リストについては文献Speak, pp. 67–68を参照
- ^ まだ探検されていなかった南極大陸を、王立地理学会は便宜上4つの地理的区域に分けた。すなわち、ろす、ビクトリア、エンダビー、ウェッデル海である
- ^ この献金は少なくとも2008年換算で150万ポンドの価値があった(Measuring Worth)。ブルースとの関係が知られていないケアードは、ケアード海岸(コーツランドの一部で、以前にブルースが命名した)と命名することでシャクルトンに対する寛大さの報償を受けた。また捕鯨船ジェイムズ・ケアードという船名もあり、シャクルトンがボートでサウスジョージアまで救援に行ったものだった
- ^ この名誉学位に基づき、その後のブルースは「ブルース博士」と呼ばれた。ただし、このような呼び方はイギリスの名誉学位の一般的使われ方ではない。
- ^ トマス・ロバートソン、スコティア船長
- ^ イギリスの記者によるブルースの扱い方の例がHuxley, Scott of the Antarctic, p. 52にある。「ブルースの冒険はスコティアでウェッデル海への航海が簡単に終わった。これも海氷に阻まれ、陸地に到着することなく戻った」
- ^ Speak, pp. 21–23.
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