イタダキマン イタダキマンの概要

イタダキマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 19:21 UTC 版)

タイムボカンシリーズ
通番 題名 放映期間
第6作 逆転イッパツマン 1982年2月
- 1983年3月
第7作 イタダキマン 1983年4月
- 1983年9月
第8作 タイムボカン2000
怪盗きらめきマン
2000年4月
- 2000年9月
アニメ:タイムボカンシリーズ イタダキマン
原作 九里一平タツノコプロ企画室
監督 笹川ひろし(総監督)
シリーズ構成 酒井あきよし
脚本 酒井あきよしほか
キャラクターデザイン 天野嘉孝
メカニックデザイン 大河原邦男
音楽 神保正明山本正之
アニメーション制作 タツノコプロ
製作 フジテレビ、タツノコプロ
放送局 フジテレビ系列
放送期間 1983年4月9日 - 9月24日
話数 全20話
その他 第19話は本放送時未放映。
テンプレート - ノート
プロジェクト アニメ
ポータル アニメ

概要

タイムボカンシリーズ』第7作目。「フジテレビ制作作品」かつ「昭和のタイムボカンシリーズ」として、そしてメインスポンサーとしてタカトクトイスが参加した最後の作品でもある。企画段階では『チン遊記オシャカマン[1]との番組タイトルだったが、「おしゃかになる」が「だめになる」という意味になり縁起が悪いために改題された。『イタダキマン』のタイトルの由来は「視聴率を戴く」という意気込みを込めたものである[2]

本作品では『西遊記』を各種設定のモチーフとし、同時にマンネリ打破を目指した前々作『ヤットデタマン』及び前作『逆転イッパツマン』から一転、原点回帰へ向けた様々な取り組みがなされている。作風は前作のシリアス路線とは対照的に、シリーズ本来のコメディテイストを前面に押し出した、低年齢層向けの解りやすいものへと変更[注 2]。また登場するメカも『ヤットデタマン』から続いていた直立ロボット路線から、昆虫や動物など低年齢層向けの親しみのある生き物をモチーフとしたものとなっている[3]。さらにシリーズ作品の多くで導入されていた「モノ探し」の要素も本作品にて復活している。その上で、「主人公が素性を隠して平素は三悪人と行動している」「イタダキマンの毎回の敵は妖怪であり、三悪人は妖怪の戦闘をサポートするセコンド的立場となった」「これまでメカに乗り込んで戦ってきたヒーロー自身が巨大化変身して戦う」など、新たなアイデアも導入している。一方で、シリーズ2作目である『ヤッターマン』を除き、シリーズで長らく踏襲されてきた「タイムトラベル」要素は本作品では盛り込まれていない。

前作まで土曜18時台後半に放送されていた『タイムボカンシリーズ』であるが、本作品では1時間繰り下げる形で19時台後半へと移動した。当時フジテレビの同時間帯は、1980年3月に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了して以降、裏番組に高視聴率を誇った『クイズダービー[注 3]や『あばれはっちゃくシリーズ』[注 4]があったことなどから後番組が軒並み半年以内で打ち切られていたこともあり[4]、放送枠のてこ入れとして『タイムボカンシリーズ』を移動させたものの、本作品も視聴率は9%台と低迷し、やはり半年という短命に終わった[注 5]。チーフディレクターの笹川ひろしは、内容的には面白いものになったと自負する一方、低視聴率になった原因について「時間帯の変更により定着していた視聴習慣が新しい時間帯にはなかったのではないか」と分析している[2]

本作品の終了に伴い、『タイムボカンシリーズ』のテレビシリーズも、制作・放送局をテレビ東京に移した『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』(2000年)まで、長らくの休止期間に入ることとなる。

ストーリー

オシャカ様はオシャカ学園のオチャカ校長を通して、三蔵法師一行の子孫の3人である三蔵法子、サーゴ・浄、猪尾ハツ男にオシャカパズル集めをするよう命じる。オシャカパズルにはお釈迦様が残した大切な宝のありかが秘められている。

3人は旅に出てパズル集めを開始するが、オシャカ学園を目指す万年浪人のヤンヤン、ダサイネン、トンメンタンの三人は、パズルを集めれば宝が手に入る上にオシャカ学園入学の口実になると考え、法子たちの邪魔とパズルの横取りを始める。

しかし、法子たちがどこかで襲われるとイタダキマンがやってきて悪玉トリオをやっつける。


注釈

  1. ^ 本放送時は野球中継のため、第19話のみ一部地域を除き未放映。
  2. ^ その一方で、小原乃梨子キャラ以外の女性(法子や学園の女生徒など)が、更衣や入浴などで下着乳房を大胆に見せるシーンも多々あった。
  3. ^ 1983年4月にTBS系列とのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局(JNN脱退・FNN加盟)にネットチェンジした福島テレビにおける土曜19時台後半枠は、本作の同時ネットではなく、視聴者保護も兼ねて『クイズダービー』の同時ネットを同年9月まで継続した(本作は遅れネット)。当時フジテレビ系列とのクロスネット局であり、本作を遅れネットで放送していたテレビ山口でも、『クイズダービー』をネットせずに『オレたちひょうきん族』の遅れネットを放送した。
  4. ^ 近畿広域圏の朝日放送では『部長刑事』。当時テレビ朝日系列とのクロスネット局であった新潟総合テレビ(現:NST新潟総合テレビ)では、土曜19時台後半枠は『あばれはっちゃくシリーズ』の同時ネットを放送していたため、本作は遅れネットで放送された。
  5. ^ 後番組として、『タイムボカンエクスプレス ダレダマン』や『タイムボカンウォーズ サッパリマン』といった作品も企画されていたが、いずれも本作品の打ち切りにより頓挫している。
  6. ^ モンキーと誤表記[5]
  7. ^ 入浴時に「覗き」行為を働いたダサイネンとトンタンメンを、2人一緒に右アッパー1発で殴り飛ばしている。
  8. ^ 「オチャカ校長にお釈迦様の霊が乗り移った」という設定に対して、霊の実在を認める立場である小山が「不謹慎だ」と反発したというもの。

出典

  1. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1983年2月号、学研ホールディングス、112頁。 
  2. ^ a b 笹川ひろし「第25章 ここであったがこんにちは!イタダキマン現る!!」『ぶたもおだてりゃ木にのぼる』ワニブックス、2000年9月25日、ISBN 4-8470-1358-1、273-277頁。
  3. ^ DARTS編『タイムボカン全集』ソフトバンク、1997年、p126
  4. ^ 『イタダキマン』放送から40年 「短命」だったこともギャグに変えた?”. マグミクス. メディア・ヴァーグ (2023年4月9日). 2023年4月17日閲覧。
  5. ^ 「We're Anime People 役になりっ子ゲーム VOL.1」『マイアニメ1983年7月号ふろく TV RADAR 6/11〜7/10』秋田書店、1983年7月1日、6頁。 
  6. ^ 小山著『霊もピチピチ生きている 実証・真光の業』リヨン社、1985年、p198-p199
  7. ^ ぶらざあのっぽ公式ホームページ のっぽとタイムボカン 2003年6月のキャッシュ
  8. ^ 次回予告で使用されたメロオケなどの主題歌のアレンジ関連、およびサブタイトルやゾロメカの活躍シーンで多用されたBGMなどを除く。
  9. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年10月号、徳間書店、98 - 99頁。 
  10. ^ 『福島民報』1983年4月9日 - 9月23日付朝刊、テレビ欄。
  11. ^ 『福島民報』1983年6月2日 - 10月8日付朝刊、テレビ欄。
  12. ^ a b c 『北國新聞』1983年4月9日付朝刊テレビ欄より。






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