アラン・ドワンとは? わかりやすく解説

アラン・ドワン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 01:38 UTC 版)

Allan Dwan
アラン・ドワン
本名 Joseph Aloysius Dwan
生年月日 (1885-04-03) 1885年4月3日
没年月日 (1981-12-28) 1981年12月28日(96歳没)
出生地 カナダ オンタリオ州トロント
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 カナダ ⇒ 帰化
アメリカ合衆国
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1911年 - 1961年
活動内容 1911年 映画監督デビュー
1913年 プロデューサー業に進出
1915年 アメリカ映画監督協会設立に参加
配偶者 ポーリン・ブッシュ 1915年 – 1921年
マリー・シェルトン 1922年 - 1954年
主な作品
硫黄島の砂
受賞
1976年 ロサンゼルス映画批評家協会賞永年功労賞
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
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画像外部リンク
肖像写真
en:File:AllanDwan.jpg - en.wikipedia.org (サイレント期の青年ドワン)
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アラン・ドワンAllan Dwan1885年4月3日 - 1981年12月28日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家映画プロデューサーである。サイレント映画からの430本を超える作家的キャリアをもつ、パイオニアのひとりである。

人物・来歴

1885年(明治18年)4月3日カナダオンタリオ州トロントに生まれる。11歳のときに、家族とともにアメリカ合衆国のミシガン州デトロイトに移住した。

インディアナ州サウスベンド近郊のカトリック系大学ノートルダム大学で工学を学び、イリノイ州シカゴの電器会社にエンジニアとして入社した。

その後、シカゴの映画会社エサネイ・スタジオに入社し、脚本を書く。1911年(明治45年)、26歳のときに、シカゴのアメリカン・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニーがカリフォルニア州サンディエゴのラメーサに撮影所を建設、同撮影所で、J・ウォーレン・ケリガン主演の『策略』で映画監督としてデビューする。同社において、1913年(大正2年)、プロデューサー業に進出する。メアリー・ピックフォードダグラス・フェアバンクス主演作を多く手がけた。

1914年(大正13年)、同州サンタモニカのビゾン・スタジオで初の長篇映画『リシュリュー』を監督、同年、フェイマス・プレイヤーズ・フィルム・カンパニー(のちのフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー)に移籍し、『ワイルドフラワー英語版』等を監督した。

1915年(大正4年)、ファイン・アーツ・フィルム・カンパニーに移籍、ドロシー・ギッシュ主演作『邪道』を監督、ドロシー主演作を多く手がける。同年6月18日、アメリカ映画監督協会設立に参加する。同年、監督デビュー作『策略』に出演した女優のポーリン・ブッシュと結婚する。1921年(大正10年)、離婚し、翌1922年(大正11年)、女優のマリー・シェルトンと結婚する。1928年(昭和3年)の『怪我騒動』までのサイレント映画の時代は、ドワンの全盛期であり[1]、実に360本を超える映画を監督した。

1929年(昭和4年)、ユナイテッド・アーティスツ配給の『鉄仮面』からはトーキーにとりくみ、同年、フォックス・フィルム(現在の20世紀フォックス)に移籍し、 『南海の薔薇』等を手がけた。1930年(昭和5年)には、女優グロリア・スワンソンのハウスプロダクション、グロリア・プロダクションズでスワンソン主演の『陽気な後家さん』を監督した。1937年(昭和12年)には、シャーリー・テンプル主演の『ハイデイ』、翌1938年(昭和13年)には『農園の寵児』を手がけ、天才子役の黄金時代に貢献した。45歳から55歳にかけての1930年代には、大幅に本数が減ったが、26本を監督している。

1941(昭和16年)以降、第二次世界大戦中は、RKOエドワード・スモールのエドワード・スモール・プロダクションズでコメディを多く手がけた。戦後、1946年(昭和21年)にマイナー映画会社リパブリック・ピクチャーズに入社、同年の『アニーとのランデヴー』を手始めに、同社で『アリゾナの嵐』(1948年)、俳優ジョン・ウェインアカデミー賞にノミネートされた『硫黄島の砂』(1949年)等を手がける。55歳から65歳にかけての1940年代には、19本を手がけた。

1954年(昭和29年)、69歳になってからの4年間、ベネディクト・ボジャースの製作会社ベネディクト・ボジャース・プロダクションで映画界最後の日々を過ごすことになる。同年の『逮捕命令』や『バファロウ平原』等、12本を手がけた。1957年(昭和32年)、『地上で最も危険な男』を撮影するが、1961年(昭和36年)まで公開されなかった。同作は、のちにヴィム・ヴェンダースが監督した映画『ことの次第』(1981年)の劇中でリメイクされる。

1976年(昭和51年)、91歳のとき、ロサンゼルス映画批評家協会賞永年功労賞を受賞する。

1981年(昭和56年)12月28日カリフォルニア州ロサンゼルスで死去した。満96歳没。映画における功績により、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(6263 Hollywood Blvd.)に名を残す。

おもなフィルモグラフィ

特筆以外は監督作

en:Category:Films directed by Allan Dwanも参照のこと。

1910年代

  • 『策略』 Strategy  : 1911年 - デビュー作
  • 『リシュリュー』 Richelieu : 1914年 - ドワン初の長篇劇映画
  • ワイルドフラワー英語版Wildflower : 1914年
  • 『邪道』 Jordan Is a Hard Road : 主演ドロシー・ギッシュ、1915年
  • マンハッタン』 : 1916年
  • 『火の森』 : 1916年
  • 『笑ひの習慣』 The Habit of Happiness : 1916年
  • 『善良なる悪人』 The Good Bad Man : 1916年
  • 『珠玉の乙女』 Betty of Greystone : 1916年
  • 『ドーグラスの好奇』 Manhattan Madness : 1916年
  • 『ドーグラスの蛮勇』 : 1917年
  • 『パンテア』 Panthea : 1917年
  • 『ドーグラスの現代銃士』 A Modern Musketeer : 1917年
  • 『結びの神』 : 1918年
  • 『楽天生活』 : 1918年
  • 『ドグラスの跳ね廻り』 Mr. Fix-It : 1918年
  • 『ヘッディン・サウス』 Headin' South : 1918年 - 共同監督アーサー・ロッスン
  • 『サハラ』 Sahara : 1919年
  • 『微笑ながら』 He Comes Up Smiling : 1918年
  • 『運命の兵士』 Soldiers of Fortune : 1919年
  • 『紅いばら』 Cheating Cheaters : 1919年
  • 『暗黒の妖星』 The Dark Star : 1919年

1920年代

  • 『大自然の掟』 : 1920年
  • 『唸る鉄拳』 : 1920年
  • 『埋れ行く黄金』 The Splendid Hazard : 1920年
  • 『愛蘭土人の幸運』 The Luck of the Irish (1920 film)  : 1920年
  • 『禁断の物』 The Forbidden Thing : 1920年
  • 『悲しき情歌』 In the Heart of a Fool : 1920年
  • 『青春の暗影』 : 1921年
  • 『雷火落つる時』 The Scoffer : 1921年
  • 『陰陽の人』 A Perfect Crime : 1921年
  • 『隠れ家の娘』 The Hidden Woman : 1922年
『ロビン・フッド』(1922年)のダグラス・フェアバンクス
  • 『ロビン・フッド』 Robin Hood : 1922年
  • 兄貴Big Brother : 1923年
  • 『合法の窃盗』 Lawful Larceny : 1923年
  • 『陥穽の宮殿』 : 1923年
  • 月の囁きThe Glimpses of the Moon : 1923年
  • 『舞姫ザザ』 Zaza : 1923年
  • 『彼女の恋物語』 Her Love Story : 1924年
  • 『兵営に咲く花』 Wages of Virtue : 1924年
  • 『焔の女』  : 1924年
  • 『嬲られ者』 Manhandled : 1924年
  • 『社交界の醜聞』 The Society Scandal : 1924年
  • 『当り狂言』 Stage Struck : 1925年
  • 『夜の紐育』 Night Life of New York : 1925年
  • 『アルゼンチン情話』 Argentine Love : 1925年
  • 『女心』 The Coast of Folly : 1925年
  • 『五十と五十』 Fifty-Fifty : 監督アンリ・ディアマン=ベルジェ、1925年 - 原作・脚本
  • 『神ぞ知る』 Tin Gods : 1926年
  • 『心の合鍵』 Padlocked : 1926年
  • 『海馬』 Sea Horses : 1926年
  • 『世話女房』 French Dressing : 1927年
  • 『タイタニック』 Titanic : 1927年
  • 『悲恋の楽聖』 The Music Master : 1927年
  • 『近代恋愛ごっこ』 The Joy Girl : 1927年
  • 『侵略の潮』 Tide of Empire : 1928年
  • 『怪我騒動』 The Big Noise : 1928年 - ドワン最後のサイレント映画
  • 鉄仮面The Iron Mask : 1929年 - ドワン最初のトーキー
  • 『南海の薔薇』 South Sea Rose : 1929年
  • 『氷原の情炎』 Frozen Justice : 1929年
  • 『遙かなる叫び』 The Far Call : 1929年

1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

関連事項

  1. ^ #外部リンク欄、「アラン・ドワン」リンク先の記述を参照。

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