アスル・エルドアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 05:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アスル・エルドアン Aslı Erdoğan | |
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![]() アスル・エルドアン 2017年フランクフルト・ブックフェアにて | |
生誕 |
1967年3月8日(53歳)![]() |
職業 | 小説家、ジャーナリスト、人権活動家、物理学者 |
栄誉 |
欧州文化財団のマルフリート王女文化賞 (オランダ、2017) ブルーノ・クライスキー人権賞 (オーストリア、2017) スウェーデン・ペンクラブのクルト・トゥホルスキー賞 (2017) テオドール・ホイス勲章 (ドイツ、2017) シュトゥットガルト平和賞 (ドイツ、2017) エーリヒ・マリア・レマルク平和賞 (ドイツ、2017) ライプツィヒの報道の自由・未来賞 (ドイツ、2017) 女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞 (フランス、2018) |
公式サイト | http://www.aslierdogan.com/ |
背景
アスル・エルドアンは、1967年3月8日、イスタンブールの中産階級の家庭に生まれた。母はテッサロニキ(ギリシャ)の知識人の家系の出で経済学者、父はロシアによりオスマン帝国に追放された「祖国を失った民族」チェルケス人の家系の出でエンジニアであった[1]。
レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領とは血縁関係はない[2]。
両親は二人とも、熱心な左派の闘士で、家には「極左やリアリズム文学の著書」がたくさんあったが、ロバート・カレッジに入学し、14歳の頃から文学作品、とくにシェイクスピア、エウリピデス、カフカなどを読みふけった。すでに10歳のときにひそかに小説を書いたが、祖母がこの作品を内緒でコンクールに応募したことで注目を浴びたために逆に傷つき、以後、20歳を過ぎるまでフィクションは書かなかったという[3]。ボアズィチ大学で物理学を専攻し、学業の傍ら、再び小説を書き始めた。22歳のときの自殺未遂の経験に基づくもので、早くも受賞を果たしたが、公表はしなかった[1]。
研究・執筆活動
物理学の研究を続けるためにトルコを離れ、ジュネーヴの欧州原子核研究機構 (CERN) の研究員として高エネルギー荷電粒子の研究を行った。この間も、1日14時間仕事をしながら、深夜1時から朝5時まで小説を書いた(『奇跡のマンダリン (Mucizevi Mandarin)』として出版)[1]。
トルコに戻り、研究の傍ら、さらに執筆に専念した。一方、レゲエバーで黒人街に暮らすアフリカ人青年に出会い、彼との付き合いを通して、トルコ人の人種差別や黒人と白人の付き合いに対する憎悪的、攻撃的、侮蔑的態度、不法移民に対する警察の暴力などの現実を知ることになった(この経験を後に小説『貝男 (Kabuk Adam)』に描いている)。エルドアンは強制収容所に入れられた157人のアフリカ人について記事を書き、人種差別を告発したが、このために亡命を余儀なくされ、ブラジルで物理学研究員としての仕事を得て、2年間、リオデジャネイロに滞在した(この間に経験したリオの現実を『赤いマントに覆われた都市 (Kırmızı Pelerinli Kent)』に描いている)[1]。
ジャーナリズム
トルコに帰国し、研究活動を中断し、作家活動に専念した。同時にまた、ジャーナリストとして1996年創刊の左派の日刊紙『ラディカル』、次いで『オズギュル・ギュンデム』紙にコラムを連載することになった。『オズギュル・ギュンデム』紙の読者は主に少数民族クルド人である。エルドアンは、トルコの準軍事組織によるクルド人女性の強姦、アルメニア人虐殺、国家刑務所での拷問、政治犯のハンガー・ストライキなど、「被害者の声」を伝えるために、トルコでタブーとされるトピックを次々と取り上げた。特に「これがお前の父親だ」と題する記事では、ジズレでクルド人少女が、「灰と骨が入った5キロのビニール袋を渡され、『これがお前の父親だ』と言われた話」を記事にした。また、刑務所での拷問については、小説『石の建物 (Taş Bina ve Diğerleri)』を発表した。やがて、エルドアンはこうした活動のために脅迫を受け、警察の監視下に置かれるようになった[3]。
2000年、国際ペンクラブの獄中作家委員会のトルコ代表を務めた[4]。
- ^ a b c d e “Asli Erdogan : « Rien ne compensera jamais un jour de prison »” (フランス語). Le Monde.fr. (2017年4月30日) 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Turquie : une romancière derrière les barreaux” (フランス語). FIGARO (2016年9月2日). 2019年1月3日閲覧。
- ^ a b c d “Asli Erdogan « Tout au long de ma vie, je me suis demandé comment faire de la littérature avec la violence »” (フランス語). L'Humanité (2017年11月22日). 2019年1月3日閲覧。
- ^ a b “Unionsverlag Dokument zu Aslı Erdoğan” (英語). www.unionsverlag.com. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “親PKK新聞に強制捜査―CHPから批判” (日本語). 日本語で読む中東メディア. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Asli Erdogan, romancière emprisonnée en Turquie” (フランス語). Libération.fr (2016年8月25日). 2019年1月3日閲覧。
- ^ “収監中のアスル・エルドアン、自著は刑務所の図書館にあり” (日本語). 日本語で読む中東メディア. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Turquie : la romancière Asli Erdogan reste en prison” (フランス語). Télérama.fr. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Turquie : la justice décide de libérer Asli Erdogan et Necmiye Alpay (MàJ)” (フランス語). www.actualitte.com. 2019年1月3日閲覧。
- ^ La-Croix.com (2016年11月23日). “En Turquie, l’écrivaine Asli Erdogan reste en détention” (フランス語). La Croix. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “2017 ECF Princess Margriet Award” (英語). European Cultural Foundation. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Bruno Kreisky Prize for Human Rights awarded to Aslı Erdoğan” (英語). ANF News. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “PEN Sweden gives the 2016 “Tucholsky Award” to Aslı Erdoğan” (英語). ANF News. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Theodor Heuss Medal for Aslı Erdoğan” (英語). fnst.org. 2019年1月3日閲覧。
- ^ a b SCF (2017年9月24日). “Novelist Aslı Erdoğan receives Erich Maria Remarque peace prize in Germany” (英語). Stockholm Center for Freedom. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Deniz Yücel and Asli Erdoğan win the “Prize for the Freedom and Future of the Media” 2017” (英語). European Centre for Press and Media Freedom. 2019年1月3日閲覧。
- ^ “Asli Erdogan - Prix Simone de Beauvoir pour la liberté des femmes” (フランス語). www.prixsimonedebeauvoir.com. 2019年1月3日閲覧。
- 1 アスル・エルドアンとは
- 2 アスル・エルドアンの概要
- 3 トルコクーデター未遂事件
- 4 著書
- 5 参考文献
- アスル・エルドアンのページへのリンク