賓師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 08:51 UTC 版)
私塾立命館の賓師として迎えられたのは、当時の著名な漢学者たちであった。西園寺公望は、「教師には朱子学者、水戸学の儒者をむかえ、文章家として聞こえた人もあった。(略)京都にいる漢学者のえらい所をぬき集めたという形だった」と述べている(木村毅編『西園寺公望自伝』)。実際に、賓師として確認されているのは、江馬天江、広瀬青邨、松本士竜(松本巌)、富岡鉄斎、神山鳳陽(四郎)らである。明治3年(1870年)、広瀬青邨が西園寺の詩文会に招かれたとき同席していた者には、尊攘運動に加わって岩倉具視の知遇をえていた山中静逸、江馬天江の実兄で、池田屋事件で投獄される板倉槐堂(淡海竹洲)、本草学者山本亡羊の子で漢方医だった山本秀五郎(秀夫)や浜崎廉太郎(直全)らがあったほか谷口藹山らも参加していたとされるから、この中にも賓師として迎えられたものがあったと思われる(「青邨公手沢日記」)。
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