アジアたいへいよう‐きょうぎかい〔‐タイヘイヤウケフギクワイ〕【アジア太平洋協議会】
アジア太平洋協議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アジア太平洋協議会(あじあたいへいようきょうぎかい、Asian and Pacific Council)とは、中華人民共和国や北ベトナムに対抗するために、西側陣営に属するアジア・オセアニア諸国が開いた年次閣僚会議。略称はASPAC。
概要
1966年に韓国の朴正煕大統領の提唱で、日本・韓国・台湾・フィリピン・南ベトナム・タイ・マレーシア・オーストラリア・ニュージーランドの9か国が参加した。参加諸国間の開発と相互協力を掲げたていたが、その一方でベトナム戦争における南ベトナムへの支援など共産主義勢力の東アジア・東南アジア進出を抑制する意図も有していた。
日本は憲法上の制約から、経済社会協力プロジェクトを主導して資金拠出を行うなど経済・社会的分野に限定されながらも中心的な役割を果たした。
だが、中華人民共和国の国際連合加盟及びリチャード・ニクソンアメリカ合衆国大統領の訪中、世界的なベトナム戦争反対の動きによって参加諸国の足並みが乱れ、1973年には事実上の活動停止に追い込まれた。
参考文献
- 山影進「ASPAC」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年)ISBN 978-4-582-13101-7)
- アジア太平洋協議会のページへのリンク