金継ぎ
(kintsugi から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/06 01:24 UTC 版)
金継ぎ(きんつぎ)は漆芸修復師によって主に陶磁器などの破損部分を漆を用いて修繕する技法であり、古来から行われる日本固有の伝統的な修復方法の一つである。古くは金繕い(きんつくろい)と言われた。[1][2]
概要
金継ぎは専門的な知識を有する漆芸修復師、あるいは漆工芸家が、ウルシの木の樹液を精製して作られる天然の接着剤である漆を中心に用いて、多数の工程を数週間〜数ヶ月(破損度合いによる)かけて行う。漆に含まれるウルシオールという成分が空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の触媒作用によって常温で重合する酵素酸化、および空気中の酸素による自動酸化により硬化する、その反応を用いて接着を中心とした修繕が可能となる。[3]
現在の一般的なイメージでは、金継ぎの特徴として純金を用いた華やかな装飾性というものがあげられるが、金継ぎと言えど過去を遡って作例を見ると、装飾として必ず純金(本金粉)を用いていた訳ではなく、銀を使った銀継ぎ、黒呂色漆や弁柄漆を使った色漆継ぎ(色漆繕い)なども同様の方法で多数作られている。上絵付けが特徴である古九谷や古伊万里などは、断面のみ漆による接着が行われ装飾が行われていない例や、古い樂焼には『黒樂』には黒呂色漆[4]、『赤樂』には弁柄漆を用いた例や、天正十四年(1586)に記された安土桃山時代の博多の豪商で、著名な茶人でもあった神谷宗湛の『宗湛日記』には「いろうるしにてつくろいあり」と頻出する。[5]基本的には修繕こそが何より重要であり、修繕対象の陶磁器固有の価値、色や存在を邪魔しないことに重きを置かれていたと考えられる。
昨今エコロジー、SDGsの観点から日本の伝統文化・思想の一つとして従来の金継ぎは海外を中心に高く注目、再評価されている[6]。その影響から専門知識を持たない一般人でも簡単に出来る簡易金継ぎが新たに生まれ、ビジネスモデルとして市場へ参入している[7]が、従来の金継ぎとは異なり、簡易金継ぎは食品衛生上の安全性に問題があると懸念されている(下段参照)。
歴史
漆を用いて修繕を行った例の古くは紀元前2500年頃の縄文土器に存在する。[8]
陶磁器における金継ぎの技法が生まれた原初としては、重要文化財に指定されている『青磁茶碗(馬蝗絆)龍泉窯』(重要文化財・高9.6 口径15.4 高台径4.5 南宋時代・13世紀 東京国立博物館)と関係があると考えられている。江戸時代の儒学者、伊藤東涯によって享保12年(1727)に著された『馬蝗絆茶甌記』(ばこうはんさおうき)によると、この茶碗は安元初年(1175頃)に平重盛が浙江省杭州の育王山の黄金を喜捨した返礼として仏照禅師から贈られたものであり、その後室町時代に将軍足利義政(在位1449~73)が所持するところとなった。このとき、底にひび割れがあったため、これを中国に送ってこれに代わる茶碗を求めたところ、当時の中国にはこのような優れた青磁茶碗はすでになく、ひび割れを鎹(かすがい)で止めて日本に送り返してきた。あたかも大きな蝗(いなご)のように見える鎹が打たれたことによって、この茶碗の評価は一層高まり、馬蝗絆と名づけられた。(平重盛所持の伝承は、龍泉窯青磁の作風の変遷に照らして史実とは認めがたいものの、足利将軍家以降長く角倉家に伝えられていたことから、伝承には信憑性がある。)この茶碗が陶磁器を修復し復元させる発想の原点であると伝えられている。[9]
逸話
本阿弥光悦作の赤楽茶碗(銘「雪峰」)の逸話が有名である。[10]
千利休と金継ぎについては、かの『山上宗二記』にこう記されている。名物茶壷であった銘「三日月」はむかし興福寺の内の西福院にあったが、その後、日向屋道徳が所持し、その次に下京の袋屋、それから三好実休が所持していた。ところが、戦乱の際に河内の高屋城で六つに割れた。その後、堺の宗易即ち千利休が継ぎ直し、それを手に入れた三好の家老衆が三千貫で太子屋に入質し、太子屋が織田信長公へ献上した。割れて後も五千貫・一万貫の値打があった。壷の様子は口伝にある。ただし、この茶壷は信長公の代に焼失した。とあり、もちろん本能寺の変で焼けたのを意味すると考えられている。[11]
金継ぎにまつわる別の文献としては『松屋会記』に以下のようにある。織田信長に献上された茶入、銘「作物茄子」は秘蔵され、天正三年十月二十八日の朝会で使用されていた。その後は豊臣秀吉の所有となり、大坂城の宝庫に収められていたが、大坂役の落城(大阪夏の陣)で焼け落ちてしまった。そこで本多正純は、焼け跡の名器を探索すべきことを徳川家康にすすめ、漆工である藤重藤元・藤巌父子によって「新田肩衝」、「松本茄子(紹鴎茄子)」、「作物茄子」などの名器を探し出したあと、漆繕いをして旧に復して家康に進献した。ところが家康はその褒美として「松本茄子」と「作物茄子」を藤重父子に与えたのであった。藤巌はこの茶入を秘蔵し寛永十一年三月二十五日に、松屋久重らを招いて茶会を催している(『松屋会記』)。[12]
簡易金継ぎと安全性
簡易金継ぎ(あるいはモダン金継ぎなど名称は様々)とは、天然の漆を用いずに合成漆や新うるし(ウレタンやカシュー系合成塗料などを成分とした漆風の人工塗料)を用いて行われる簡易的な修繕、金継ぎが形骸化した形の流行ビジネス的な手法によって生まれた方法である。天然の漆を用いていないことから厳密には金継ぎではないとされている。[7]
破損箇所を工業・ホビー用接着剤(シアノアクリレート系など)を用いて接着した後に、合成漆や新うるし(ウレタン塗料やカシュー系合成塗料などを成分とした漆風の人工塗料)、本金粉(純金)の代用として真鍮粉や金色の雲母を、銀粉の代用としてアルミを使用するようなケースが多く見られる。それらをまとめた金継ぎセットなる商品が流行したが、掲載されている写真では食器を修繕しながらも、食器利用は非推奨である注意書きが表示されているような矛盾が指摘されている。[13][14]
上記の材料の多くは本来食器用途を想定した材料ではなく、日本の食品接触材料規制に適合していない可能性が指摘されていた。2018年改正の食品衛生法では、食品用器具・容器包装に使用される合成樹脂についてポジティブリスト制度が導入され、2025年6月から完全施行された。この制度では、食品に接触する合成樹脂材料について、別表第1に掲載された物質のみ使用することができるとされている。[15]シアノアクリレート系接着剤、カシュー系合成塗料が成分である合成漆や新うるしなど食器への使用は違法となった[16](2026年3月現在)。
このような背景から、天然漆を用いる伝統的な金継ぎと、合成材料を用いる簡易金継ぎとの安全性や用途の違いについて、消費者への適切な情報提供の必要性が指摘されている。
技法
師弟制度により受け継がれてきた専門的かつ特殊な知識、経験、道具の多くは一般に開示されていない。金継ぎは複数の種類の漆を使用し、多数の工程から形成され、細かく分類すれば10を超える作業が必要とされている。また、破損した陶磁器の状態から逆算し、異なった技法が用いられる。基本的に各工程後、漆室と呼ばれる箱型の棚にて適切な湿度と温度を保ち乾燥させる。
昭和31年に修復された福岡県千如寺木造千手観音立像(重要文化財)を例にあげて、当時の日本美術院の修理法を記したもの。麦漆と錆漆が主な材料として用いられている。[8]
以下、漆工芸品修復における漆を用いた接着材料を幾つか抜粋する。実際には更に細かな材料、工程を必要とする。[17]
- 麦漆
- 修復の基本となる接着材料。[小麦粉+水]+生漆
- ① 小麦粉 約小さじ2。
- ② 水 小麦粉と合わせて耳たぶほどの固さになる量。
- ③ 生漆 日本産生正味漆。水練りした小麦粉と合わせて、箆でとると糸状にひく状態になる量。
- おおまかな①、②、③の割合は、[①+②]:③=約1:1以上。これを基本として、作業により分を増やしたりする。
- 刻そ漆
- 修復する器物の矢損部分を補う材料。麦漆に1~2割程度の刻そ綿(麻の繊維を細かくしたもの)、更に木粉を混ぜたもの。材料を合わせた固さに注意。[麦漆+刻そ綿]:木粉=約1:1強を基本とする。
出典
- ^ 井口海仙 等編『茶道全集 卷の六』創元社、1936年、503頁。「『宗湛日記』の天正十四年十二月廿日の條に、 「井戸茶碗、口四寸七八分、薬ノ内黑メニアリ、シキスリノ常ヨリハムツクリトス黑ツクロイ三ツイロウルシノツクロイ細ク五ツノ薬ノ色少アカメニシテ、クワンヨウヒゞキ也」 と見え、また天正十五年十月北野大茶會の道具目録にも見える。」
- ^ 満岡忠成『茶のやきもの (茶の湯ライブラリー ; 7)』淡交社、1969年、253頁。
- ^ 松井悦造『漆化学』日刊工業新聞社、1963年、70頁。
- ^ 佐藤雅彦 [等] 編『日本陶磁全集 20』中央公論社、1976年、21,72-73頁。
- ^ 『新修茶道全集 巻8(宗湛日記含む)』春秋社、1956年、148-288頁。
- ^ 「世界に広まる「金継ぎ」 伝統踏まえ新たな命を吹き込む 漆芸の修復師・末崎広樹さん」『朝日新聞 GLOBE+』2025年10月10日。
- ^ a b 北村博子「割れた器に新たな価値を与える日本伝統技「金継ぎ」…海外で「壊れた物を新たな美に再生」と絶賛」『産経新聞』2017年12月1日。
- ^ a b 高宮洋子 (2020). 文化財(彫刻)修復に使用される新しい素材について : 耐候性改善漆の応用: 13,16-19. https://dl.ndl.go.jp/pid/3175371/1/10.
- ^ “e国宝 - 青磁茶碗 銘馬蝗絆”. emuseum.nich.go.jp. 2023年9月14日閲覧。
- ^ 【文化の扉】金継ぎで器にお化粧 繕いを新たな美に・全国で体験教室盛ん『朝日新聞』朝刊2017年9月3日
- ^ 『山上宗二記の研究』1957年。doi:10.11501/2484088。「一 三日月 此御壺ニ御茶七斤入。天下無双ノ名物也。大ナル瘤七ツ在リ。前ニ腰袋付タルヤウナル横ヘ長キ贅在リ。前ヘ少傾テ面白トテ三日月ト名付タリ。下フクラニテ珍敷壺也。此御壺、昔興福寺之内西福寺ニ在リ、其後日向屋道徳所持、其次下京袋屋所持、其後三好實休所持、一亂ノ時河内國高屋城ニテ六ツニワレタリ。其後堺ノ宗易ニテ繼直シ、其後太子屋信長公ヘ上ル。ワレテ後モ五千貫・一萬貫トモ、積リモナキ也。御壺ノヤウスハ口傳ニ在リ。」
- ^ 『山上宗二記を読む』淡交社、1987年、264頁。doi:10.11501/12439459。
- ^ 御花畑マリコ (2024年9月16日). “難しい「器の金継ぎ」が初心者でもできる…!? 「簡単! おうちで金継ぎMOOK」を使って欠けた皿を修復してみた”. ロケットニュース24. 2026年3月15日閲覧。
- ^ “『はじめての金継ぎBOOK』 ナカムラクニオ著”. 読売新聞オンライン (2019年1月28日). 2026年3月15日閲覧。
- ^ “食品用器具・容器包装のポジティブリスト制度について(2025年6月1日以降)”. www.mhlw.go.jp. 2026年3月15日閲覧。
- ^ “改正食品衛生法”. 博多漆芸研究所. 2026年3月10日閲覧。
- ^ 謝敷真起子 (1994-03). “漆工品修復研修報告”. 浦添市美術館紀要 (3) (浦添市美術館) 3: 28.
関連項目
- 蒔絵
- 馬蝗絆 ‐ 中国の鎹(かすがい)を使用した陶磁器修理技術が使われた茶器、日本での鎹を使った陶器修理技術である鎹継ぎについても記載。
- 古代ギリシャ陶器の保存と修復 - 古代においては、銅、鉛、青銅などの金属の鎹や膠などの接着剤による修復が行われていた。別の器から修理用の破片を流用することもあった。
- セラミック製品の保存と修復
- 焼継ぎ(ガラス継)
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、金継ぎに関するカテゴリがあります。- 割れたり欠けたりした陶磁器を生かす「金継ぎ」 - 政府広報
- kintsugiのページへのリンク