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ウィリアム・ジョッピー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 04:30 UTC 版)

ウィリアム・ジョッピー
基本情報
本名 ウィリアム・トレーレ・ジョッピー
階級 ライトヘビー級
身長 175cm
リーチ 184cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 (1970-09-11) 1970年9月11日(53歳)
出身地 ワシントンD.C.
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 49
勝ち 40
KO勝ち 30
敗け 7
引き分け 2
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ウィリアム・ジョッピーWilliam Joppy1970年9月11日 - )は、アメリカ合衆国男性プロボクサーワシントンD.C.出身。元WBA世界ミドル級王者。

来歴

1993年2月26日、プロデビュー。

1995年9月16日、ラスベガスミラージュで行われたNABF北米ミドル級王座決定戦でロドニー・トニーと対戦し、12回判定で引き分けた為、王座獲得に失敗した。

1996年6月24日、世界初挑戦。横浜アリーナWBA世界ミドル級王者竹原慎二に挑み、9回2分29秒TKO勝ちを収め[1]、23戦目で無敗の世界王者となった。その後、2度の防衛に成功した。

1997年8月23日、マディソン・スクエア・ガーデンフリオ・セサール・グリーンと対戦し、12回0-3(113-116、112-114、112-113)の判定負けを喫し、3度目の防衛に失敗し王座陥落と同時にプロ初黒星を喫した。

1998年1月31日、フロリダ州タンパアイス・パレスでWBA世界ミドル級王者フリオ・セサール・グリーンとダイレクトリマッチで再戦し、12回3-0(117-110、117-112、117-113)の判定勝ちを収め、雪辱を果たすと共に王座返り咲きに成功した。

1999年8月28日、ラスベガス・ヒルトンで世界4階級制覇のロベルト・デュランパナマ)を3回2分54秒TKOで破り初防衛に成功、その後、防衛回数を5まで伸ばした。

2001年5月12日、マディソン・スクエア・ガーデンフェリックス・トリニダードプエルトリコ)に自身初のKO負けとなる5回2分25秒TKO負けを喫し、6度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

2001年11月17日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターで行われたWBA世界ミドル級レギュラー王座決定戦でハワード・イーストマン(イギリス)と対戦し、12回2-0(115-112、114-112、113-113)の判定勝ちを収め、みたび王座獲得に成功した。

2002年10月10日、両国国技館保住直孝と対戦し10回2分48秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功すると同時に竹原慎二戦以来6年ぶりの日本での試合を勝利で飾った。

2003年12月13日、ボードウォーク・ホールでWBAスーパーWBCIBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスとの王座統一戦に挑むが、12回0-3(109-119、108-119、109-118)の判定負けを喫し、ジョッピーが保持していたWBAレギュラー王座はWBAスーパー王座に吸収される形で空位となり、2年1ヵ月保持していた王座から陥落した。この試合は8大タイトルマッチの1試合として行われた。

2004年12月4日、アーカンソー州リトルロックのボストン・コリセウムでWBCアメリカ大陸ミドル級王者ジャーメイン・テイラーと対戦し、12回0-3(3者共に107-120)の判定負けを喫し、王座獲得に失敗した。

2008年2月29日、2階級制覇を目指しIBF世界スーパーミドル級王者ルシアン・ブーテルーマニア)に挑むも、10回TKO負け。その後、2年間リングから遠ざかった。

2010年3月6日、カナダケベック州モントリオールモントリオール・カジノで行われたセバスチャン・デマースとの2年ぶりの復帰戦で、10回0-2(95-95、2者が93-97)の判定負けを喫した。

2011年1月8日、カザフスタン共和国南カザフスタン州シムケントのスポーツ・パレスでWBA・IBA世界ライトヘビー級世界ライトヘビー級王者ベイブット・シュメノフと対戦し、6回15秒KO負けを喫し王座の獲得に失敗した。当初はWBO世界ライトヘビー級王者ユルゲン・ブリーマーがシュメノフと対戦予定だったが、ブリーマーがインフルエンザを理由に欠場し、ジョッピーが代役となった[2]

2011年3月12日、フェアファックスジョージ・メイソン大学でコーリー・カミングスと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた試合を最後に現役を引退した。

獲得タイトル

  • WBA世界ミドル級王座(防衛2)
  • WBA世界ミドル級王座(防衛5)
  • WBA世界ミドル級レギュラー王座(防衛1)

備考

竹原に圧勝したのは既出したとおりだが、ウィリアム自身はトリニダードとの対戦前、竹原のパンチ力が最強であったとし、トリニダードのはそれより劣ると過小評価していた。

脚注

  1. ^ 偉業から2年…村田諒太は唯一無二の経験伝える”. 日刊スポーツ (2020年4月16日). 2022年8月30日閲覧。
  2. ^ シルベスター&カニンガム防衛戦延期に ボクシングニュース「Box-on!」 2011年1月19日

関連項目

外部リンク

前王者
竹原慎二
WBA世界ミドル級王者

1996年6月24日 - 1997年8月23日

次王者
フリオ・セサール・グリーン
前王者
フリオ・セサール・グリーン
WBA世界ミドル級王者

1998年1月31日 - 2001年5月12日

次王者
フェリックス・トリニダード
空位
前タイトル保持者
フェリックス・トリニダード
WBA世界ミドル級王者

2001年11月17日 - 2003年12月13日

空位
次タイトル獲得者
マセリノ・マソー

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