Wang Lianとは? わかりやすく解説

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王連Wang Lian

オウレン
ワウレン

(?~225?)
蜀屯騎校尉丞相長史平陽亭侯

字は文儀南陽郡の人。

益州入って劉璋仕え梓潼県となった劉備益州侵攻開始すると、王連は梓潼城の城門固く閉ざして降伏しようとしなかったが、劉備はその忠義評価し、あえて攻撃加えなかった。

劉備益州平定すると王連を什邡県令とし、のち広都県令移したが、それぞれの地で王連は業績挙げた。司塩校尉任命されて塩専売任されたが、国庫への収入大幅に増収させた。また有能な人物属官として登用したが、このうち呂乂杜祺劉幹などはみな中央の高官昇りつめている。司塩校尉職務そのまま蜀郡太守興業将軍兼官することとなった

建興元年二二三)、屯騎校尉丞相長史昇進し、また平陽亭侯に封じられた。このころ南方の諸郡が服従しないので諸葛亮は自ら平定しよう望んだが、王連はたびたび諫言したので、諸葛亮長いあいだ出陣できなかった。

参照杜祺 / 劉幹 / 劉璋 / 劉備 / 呂乂 / 益州 / 広都県 / 梓潼県 / 什邡県 / 蜀郡 / 南陽郡 / 平陽亭 / 県令 / 興業将軍 / 司塩校尉 / 丞相 / 丞相長史 / 太守 / 亭侯 / 屯騎校尉 / 塩


王連 (蜀漢)

(Wang Lian から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 05:11 UTC 版)

王 連(おう れん、? - 224年[1])は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。文儀荊州南陽郡の出身。蜀書に伝がある。子は王山。


  1. ^ a b 柿沼陽平「蜀漢的軍事優先型経済体系」(初出:『史学月刊』2012年第9期(中国・河南大学)/改題所収:柿沼「蜀漢の軍事優先型経済体制」『中国古代貨幣経済の持続と展開』(汲古書院、2018年)) 2018年、P187-188.


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