天理大学ラグビー部とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 天理大学ラグビー部の意味・解説 

天理大学ラグビー部

(Tenri University Rugby Football Club から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 23:12 UTC 版)

天理大学ラグビー部
原語表記 天理大学ラグビー部
クラブカラー
愛称 テンリ
創設年 1925年
代表 吉川敏博
監督 小松節夫
所属リーグ 関西大学ラグビーリーグ戦
公式サイト
https://rugby.tenri-u.net/
テンプレートを表示

天理大学ラグビー部(てんりだいがくラグビーぶ、Tenri University Rugby Football Club)は、関西大学ラグビーリーグ戦のAリーグに所属する天理大学ラグビー部。

歴史

大正14年(1925年)、前身である天理外国語学校が開校した年の6月に創部。二代真柱中山正善は、創部間もなくオールブラックスのユニフォーム、パンツ、ストッキングを15組、シルコックのボール1ダースを寄贈するとともに、大阪高等学校の現役陣をコーチに招いた。揺籃期を経て、昭和4年~19年の台頭期に、日本ラグビーフットボール協会主催の全国高専ラグビー大会大阪奈良地区予選に8度優勝し、本大会に駒を進めている。

戦後、ラグビー部が復活したのは昭和21年(1946年)であったが、昭和24年の学制改革による新制大学への移行がスムーズにいかず、苦難な時代を送る。昭和30年、大学に体育学部が設置され、優秀な人材が入部し、発展の原動力となった。昭和34年、37年には、全国大学ラグビー大会(現全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会)の近畿地区代表となり、さらに38年には、前年に組織された関西大学ラグビーリーグのAリーグに参加することになった。昭和40年より全国大学ラグビー選手権大会が開催され、8校(現在は16校)によって覇権が争われた。部の目標は、関西Aリーグ優勝および全国制覇におかれた。昭和45年には、創部以来の念願であった常勝同志社大学を倒し、関西Aリーグにおいて全勝で初優勝。その後、昭和48年、49年と関西リーグ優勝を飾る。また49年、ニュージーランドカンタベリー大学と国際親善試合を行い、14対38で敗れはしたが、大きな収穫があった。

昭和50年、全勝で関西Aリーグ3年連続4度目の優勝を果たしたが、全国大学選手権大会では1回戦で慶應義塾大学に惜敗、その後、昭和59年度には関西リーグ2位ながらフォワードとバックスのバランスが良く、大学選手権1回戦で専修大学と対戦、12対7の接戦で初戦突破、天理ラガーが初めて国立競技場の土を踏むこととなった。 しかし、昭和60年、関西Aリーグ3位を境に、チームは年毎に下降線を辿り、平成3年ついにBリーグへ、さらに翌4年にはCリーグへ転落した。

翌5年にはBリーグに復帰するも、長年Aリーグの壁に阻まれ続けていたが、ついに平成13年12月、関西大学リーグ入れ替え戦にてAリーグ7位の摂南大学を22対12で破り、念願であったAリーグ復帰が決定した。その後、平成17年には21年ぶりに大学選手権に出場、平成22年には念願であった関西Aリーグ制覇を35年ぶりに達成した。そして令和2年には大学選手権初優勝を果たした。

不祥事

大麻所持で部員逮捕

創部100周年の2025年6月11日、3年生の部員2人がラグビー部の寮で大麻を所持するなどしたとして麻薬取締法違反の疑いで逮捕された[1][2]

これを受け、開催中だった関西大学春季トーナメントについて、6月15日の関西学院大学戦、同21日の順位決定戦を棄権した[3]。6月29日に開催の、関西ラグビーフットボール協会100周年記念「東西学生対抗戦」(花園ラグビー場)では、天理大学からの選手招集が見送られた[4]

天理大学はラグビー部員全員に聞き取りと尿検査など独自調査を実施。7月2日、ラグビー部部長の解任、監督の職務停止3か月 、7月末まで部の活動停止を発表し、「他の部員については今のところ法令違反が疑われる新たな情報は確認されていない」とした[5][6]。秋のリーグ戦に向け、8月1日から活動再開[7]

マスコットキャラクター

  • ベア - 天理大学ラグビー部を含む天理ラグビークラブのキャラクター[8]。同大学ホッケー部のキャラクターでもある[9]。熊(テディベア)がモチーフ。1925年(大正14年)にラグビー部を創設させた二代真柱中山正善が「ベア(熊)」と呼ばれていたことにちなむ[9]

タイトル

主な在籍選手

在籍した選手

創部以来の出来事

  • 1925年(大正14年) 天理外国語学校開校の年に柔道とともに正式クラブとして認められる。
  • 1926年(大正15年) 大阪外国語学校と初の対外試合。
  • 1927年(昭和 2年) 西部日本ラグビー協会に正式加入、大阪ゾーンリーグ戦に初参加。
  • 1929年(昭和 4年) 大阪ゾーン初優勝「大阪奈良」地区代表として初の全国大会(第5回全国高専大会)出場。
  • 1931年(昭和 6年) 全国大会ベスト4進出。
  • 1933年(昭和 8年) 全国大会ベスト4進出。
  • 1935年(昭和10年) 全国大会ベスト4進出。
  • 1951年(昭和26年) 全国大学ラグビー大会(現在の全国地区対抗大学選手権)始まる。
  • 1955年(昭和30年) 天理大学に体育学部設置される。
  • 1960年(昭和35年) 全国大会(第10回全国大学ラグビーフットボール大会)初出場。
  • 1962年(昭和37年) 関西大学ラグビーリーグ発足、天理大学はBリーグ優勝を果たし来年度からAリーグ入り。
  • 1963年(昭和38年) 全国大会出場。
  • 1964年(昭和39年) 東京教育大学(現筑波大)との定期戦始まる(秩父宮)。
  • 1965年(昭和40年) 全日本大学選手権始まる。
  • 1966年(昭和41年) 全日本大学選手権初出場(第2回)。
  • 1970年(昭和45年) 関西Aリーグ初優勝、初めて同志社大に勝利。
  • 1973年(昭和48年) 2度目のリーグ優勝を果たす。
  • 1974年(昭和49年) 2年連続3度目のリーグ優勝を果たす。
  • 1975年(昭和50年) 3年連続4度目の優勝。天理ラグビー創立50周年記念式典挙行。カンタベリー大学と親善試合(花園)。
  • 1984年(昭和59年) 大学選手権ベスト4進出。
  • 1991年(平成 3年) Bリーグ降格。
  • 1992年(平成 4年) Cリーグ降格。
  • 1993年(平成 5年) Bリーグ昇格。
  • 2001年(平成13年) Aリーグ昇格。
  • 2003年(平成15年) ラグビー寮開設。
  • 2005年(平成17年) 21年ぶり大学選手権出場。韓国キョンヒ大学を迎えて創部80周年記念国際親善試合挙行。
  • 2008年(平成20年) 白川人工芝グランド完成。
  • 2010年(平成22年) 35年ぶり関西Aリーグ制覇。白川人工芝グラウンドにナイター設置完了。
  • 2011年(平成23年) 関西Aリーグ2連覇。関西勢として同志社大学以来、24年ぶりに大学選手権決勝進出を果たす。
  • 2012年(平成24年) 関西Aリーグ3連覇。
  • 2018年(平成30年) 大学選手権決勝進出。
  • 2019年(令和元年) 大学選手権準決勝進出。
  • 2020年(令和2年) 大学選手権初優勝。関西勢として同志社大学以来、36年ぶりに大学選手権優勝を果たす。
  • 2025年(令和7年) 創部100周年。部員が麻薬取締法違反の疑いで逮捕され、部長を解任、約2か月の活動休止[1][2][3][4][5][6]
大学選手権初優勝の記録 - 国立競技場 2021年1月11日

脚注

  1. ^ a b 社会部, 時事通信 (2025年6月11日). “天理大ラグビー部員2人を逮捕 大麻譲り受け、所持容疑―奈良県警:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2025年7月4日閲覧。
  2. ^ a b 大麻所持、天理大ラグビー部員2人を逮捕”. 読売新聞オンライン (2025年6月12日). 2025年7月4日閲覧。
  3. ^ a b 天理大ラグビー部、15日と21日の公式戦を棄権 部員2人の逮捕を受けて無期限で活動を自粛中 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex. 2025年7月4日閲覧。
  4. ^ a b 編集ラグリパ編集部 (2025年6月22日). “関西ラグビー協会100周年記念、東西学生対抗戦の西軍メンバー発表。最多は京産大の6人、天理大からは見送り。 - ラグビーリパブリック”. 2025年7月4日閲覧。
  5. ^ a b 天理大学 ラグビー部員逮捕を受け処分発表”. NHK. 2025年7月5日閲覧。
  6. ^ a b 天理大ラグビー部が活動停止 大麻事件受け(時事通信)”. Yahoo!ニュース. 2025年7月4日閲覧。
  7. ^ 【ラグビー】天理大が今秋リーグ戦出場へ 8月1日から活動再開 6月に大麻所持など部員2人逮捕(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース. 2025年7月30日閲覧。
  8. ^ 天理ラグビークラブ所属チーム”. 天理ラグビークラブ. 2023年11月27日閲覧。
  9. ^ a b 天理のマスコット | TENRI UNIVERSITY HOCKEY CLUB”. www.tenri-hockey.com. 2023年11月27日閲覧。
  10. ^ 日比野弘の日本ラグビー全史」(日比野弘、ベースボールマガジン社、2011年) P.655~660

関連項目

外部リンク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天理大学ラグビー部」の関連用語

天理大学ラグビー部のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天理大学ラグビー部のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天理大学ラグビー部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS