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多久聖廟

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/24 02:11 UTC 版)

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多久聖廟
多久聖廟
情報
構造形式 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、向拝一間、唐破風造、本瓦葺、奥陣 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、前面本屋根に接続、本瓦葺
竣工 1708年
改築 1907年
所在地 846-0031
佐賀県多久市多久町1843-3
座標 北緯33度15分36.0秒 東経130度5分52.0秒 / 北緯33.260000度 東経130.097778度 / 33.260000; 130.097778 (多久聖廟)座標: 北緯33度15分36.0秒 東経130度5分52.0秒 / 北緯33.260000度 東経130.097778度 / 33.260000; 130.097778 (多久聖廟)
文化財 多久聖廟
指定・登録等日 史跡(1921年3月3日)
旧国宝(1933年1月23日)
重要文化財(1933年1月23日)
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多久聖廟(たくせいびょう)は、佐賀県多久市に設けられた孔子廟1708年宝永5年)竣工。

概要

肥前多久邑主の多久茂文が教育振興を目的として建立を発願し、1699年元禄12年)に学問所(後の東原庠舎)を建設した上でその講堂に孔子像を安置、さらに1708年(宝永5年)に椎原山の麓に拝殿が完成。落成後は恭安殿とよばれ、現在の聖廟がこれにあたる。1907年明治40年)の改修工事で瓦葺きから銅板葺きになった。1921年大正10年)3月3日、敷地を含め国の史跡に指定された。建物は1933年昭和8年)1月23日、当時の国宝保存法に基づき国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行に伴い国の重要文化財となった。

所在地

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