SF界への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 09:06 UTC 版)
「ワンダー・ストーリーズ」の記事における「SF界への影響」の解説
数年の間、ラッサー編集長はSF界に支配的な力を振るった。彼の下、『ワンダー・ストーリーズ』は1930年代初期における最高のSF雑誌となった。本誌のこの時期の成功は、SF業界におけるガーンズバックの最大の成功でもあった。ラッサーは新世代の作家たちを育成した(彼らの多くは純然たる新人作家だった)。『ワンダー・ストーリーズ』は、アイザック・アシモフの言い方を借りれば一種の「促成栽培」場で、若い作家たちはここで作家業のイロハを習い覚えたのであった。本誌は、他の競合誌と比べればパルプ雑誌の因習にあまり囚われておらず、SFというジャンルの発達史の本流からは外れた作品も掲載している(例えばエリック・テンプル・ベルの"The Time Stream"やフェスタス・プラグネルの"The Green Man of Graypec"などである)。 『スリリング・ワンダー』時代には本誌の影響力は低下した。1940年代中期まで、本誌は若い読者を想定していたがサム・マーウィン Jr.やサミュエル・マインズの頃になって成年読者へのアプローチを始めた(当時、その層は議論の余地なくジョン・W・キャンベルの『アスタウンディング』誌の支配下にあった)。『スリリング・ワンダー』は、キャンベルに肩を並べることはできなかったが、良作を継続的に刊行することには成功した。1950年代、本誌はパルプ雑誌時代の終焉とともに廃刊となった。
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