RKBヤングリクエスト
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RKBヤングリクエスト | |
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ジャンル | 音楽番組・リクエスト番組 |
放送期間 | 1970年10月10日 - 1982年3月29日 |
放送時間 | #放送時間の節を参照 |
放送局 | RKB毎日放送 |
パーソナリティ | #パーソナリティの節を参照 |
企画 | #主なコーナーの節を参照 |
RKBヤングリクエスト[1](アールケービー ヤングリクエスト)は、RKB毎日放送で1970年10月10日から1982年3月29日まで[2]放送されていた音楽リクエスト番組である。
概要
はがきや電話で寄せられたリクエストの中から選曲した音楽をトークと一緒に放送。1970年10月に土曜夜のナイターオフ枠でスタートし、6か月後の1971年4月に通常ナイター放送の無い月曜21時台に移動して、以後終了時まで月曜21時台で定着した。
1981年~1982年の時点(パーソナリティ・中西一清時代)では、原則として歌謡曲中心として、必ずしも当時の最新ヒットチャートの上位曲ばかり選ばず、少し前のヒット曲やシングルのB面曲、洋楽も採り上げて選曲していた。ただ演歌は選曲の対象外としていた。30分の放送時間中に6~7曲と多めにかけていたが、その代わりにフルコーラスかける曲は2曲ほどにして残る曲は途中でフェードアウトし、テンポアップに務めていた[1]。
1980年の時点(パーソナリティ・飛べない飛行船時代)では、リクエストを寄せたリスナーの名前を全部読み上げていた[3]。
1976年当時は、電話リクエストは20時45分から放送が終了する直前の21時50分まで受け付けていた[4]。
番組テーマ曲は、ニール・ダイアモンドの1971年の曲『Crunchy Granola Suite 燃える珊瑚礁』[5]。
パーソナリティ
- 安藤豊 (1970年10月スタート時のパーソナリティ)[2]
- 楫三枝子 (1970年10月スタート時のパーソナリティ)[2]
- 飛べない飛行船 (作本光弘・村上輝晃、1980年当時)[3]
- ※共に、地元・福岡のロックバンド「飛べない飛行船」のボーカル。
- 中西一清 (1981年 - 1982年3月終了時のパーソナリティ)[1]
- 安田瑞代 (1981年10月 - 1982年3月)[1]
放送時間
- 1970年10月10日 - 1971年4月3日:土曜 20:00 - 21:30[2]
- 1971年4月12日 - 1980年3月:月曜 21:00(または21:10) - 22:00[2]
- 1980年4月 - 1982年3月29日:月曜 21:00 - 21:30[2]
主なコーナー
- ヤンヤンレポート (1978年当時)[6]
- うちの母ちゃん (1978年当時)[6]
- ヤンリク青春レポート (1979年当時)[7]
- ヤンヤンポスト (1981年 - 1982年当時)
- 自慢話、ドジな話、悪口などリスナーから寄せられたお便り、メッセージなどを紹介。1982年1月当時は毎週2通ほど紹介し、最も傑作な作品には2500円分のレコード券、準傑作作品には番組オリジナルのスポーツタオルが贈られた[1]。
- ダブルイントロクイズ (1980年 - 1982年当時)
脚注
RKB毎日放送(RKBラジオ) 月曜 21:00台 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
RKBヤングリクエスト
(1971年4月 - 1982年3月) |
藤家虹二のSinging Pops
(21:00 - 21:30) |
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