尾崎放哉
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尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名:尾崎 秀雄〈おざき ひでお〉、1885年〈明治18年〉1月20日 - 1926年〈大正15年〉4月7日)は、日本の俳人。『層雲』の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。鳥取県鳥取市出身。大正15年、4月7日(大学時代の恩師・穂積陳重と同日[1])に南郷庵で死去。死因は癒着性肋膜炎合併症、湿性咽喉カタル[2]。
- ^ a b 青木亮人『近代俳句の諸相』所収「放哉と宇和島の穂積橋」、196-203頁。初出は「愛媛新聞」2014年1月11日。
- ^ “放哉の小豆島の俳句とその宗教的宇宙”. 佛教大学 岡屋昭雄 著. 2023年6月5日閲覧。
- ^ 松波治郎 『歴史と人生』 彰文館、1942年。
- ^ 山崎白雲 『教育随想・教育論叢』 久米書店、1939年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 河出書房新社編 『尾崎放哉 つぶやきが詩になるとき』 河出書房新社、2016年12月、205頁。
- ^ a b c d e f g 「NHK文化講演会(小豆島と尾崎放哉)」(1994年5月22日放送)。
- ^ 尾崎放哉選句集 - 青空文庫
- ^ 海も暮れきる~小豆島の放哉~ - テレビドラマデータベース
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