ニコメデス4世
(Nicomedes IV of Bithynia から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/25 03:13 UTC 版)
ニコメデス4世 | |
---|---|
ビテュニア王 | |
在位 | 紀元前94年 - 紀元前74年 |
死去 | 紀元前74年 |
父親 | ニコメデス3世 |
ニコメデス4世フィロパトル(ラテン語: Nicomedes IV Philopator, ? - 紀元前74年)は、ビテュニア王国の国王(在位:紀元前94年 - 紀元前74年)であり、ビテュニア王国最後の王でもある。ニコメデス3世の子。
生涯
ニコメデス4世の生年及び王位に即くまでの経歴は一切不明である。紀元前94年、父の死によって王位を継承してニコメデス4世となった。即位当初の数年間は穏やかな治世であったが、黒海・アナトリア半島への勢力伸張を狙うポントス国王ミトリダテス6世による圧力が徐々に強まり始めた。
ミトリダテス6世はニコメデス4世の兄弟であったソクラテスを唆して挙兵させ、ソクラテスはニコメデス4世の軍隊を撃破した。その為、ニコメデス4世はローマへと逃れた。ローマの斡旋もあってニコメデス4世は王位を回復したが、今度はミトリダテス6世自身が軍を率いてビテュニアへ進軍し、ニコメデス4世は再びローマへと逃亡した。
ビテュニアと同盟関係にあったローマはミトリダテス6世の討伐を決定し、当時執政官であったルキウス・コルネリウス・スッラを司令官としてポントス王国との間で戦端を開いた。第一次ミトリダテス戦争と称される戦争でローマはポントスを破り、ローマとの和約でミトリダテス6世はニコメデス4世の王位復帰を認めた。
紀元前84年にニコメデス4世はビテュニア王へ復帰し、ビテュニアは今まで以上にローマの影響下に置かれた。紀元前81年、当時アシア属州総督付の武官であったガイウス・ユリウス・カエサルがローマの特使としてニコメデス4世の宮殿へ派遣された。カエサルはニコメデス4世の宮殿に長く滞在したが、このことでカエサルはニコメデス4世と関係を持ったと噂が立ち、後にカエサルの政敵によって「ビテュニアの女王」と呼ばれることとなった。
紀元前74年に死去。死後にビテュニア王国をローマへ贈与すると遺言しており、元老院もビテュニア王国をローマ属州(ビテュニア属州)へ移行させることを決した。しかし、この遺贈に異を唱えたミトリダテス6世はアルメニア王国等と連携して反ローマに立ち上がり、第三次ミトリダテス戦争が勃発することとなった。
|
|
|
「Nicomedes IV of Bithynia」の例文・使い方・用例・文例
- その患者はHIVウイルスを持っている
- エイズはHIVウイルスが原因だという学説
- HIV感染を確認するテスト
- 抗レトロウイルス剤はパートナーへのHIV感染リスクを低下させるのに役立つかもしれない。
- 彼はHIV陽性患者のための心理教育的セミナーに登録した。
- 潜在的にHIVに感染した細胞
- HIV抗体陽性
- HIVテストは陰性だった
- HIVウイルスの血液の検査をする
- 彼女はHIV陽性であることが判明した
- 彼はHIVの検査で陽性と出た
- 非ヌクレオシド逆転写酵素抑制剤(商標名レスクリプター)で、エイズとHIVの治療に使用する
- HIV感染と戦うのに用いられる抗ウイルス薬
- HIV感染の治療に用いられる抗ウイルス薬
- エイズとHIVを治療することにおけるジドブジンと組み合わせて非常に効果的なヌクレオシド逆転写酵素抑制剤
- 他の薬と結合して通常HIVを扱う際に使用されるプロテアーゼ阻害剤(商標名ビラセプト)
- エイズとHIVを治療するのに使用される非ヌクレオシド逆転写酵素阻害薬(商品名ヴィラミュネ)
- HIVに対して使用される抗ウイルス剤
- HIVに対して使われる抗ウイルス薬
- HIVのようなレトロウイルスでの逆転写酵素の作用を禁止する抗ウイルス薬
- Nicomedes IV of Bithyniaのページへのリンク