M21 (モニター)とは? わかりやすく解説

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M21 (モニター)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/03 17:17 UTC 版)

M21
基本情報
建造所 レイルトン・ディクソン
運用者 イギリス海軍
艦種 モニター艦
艦歴
起工 1915年3月1日
進水 1915年5月27日
竣工 1915年7月
最期 1918年10月20日、触雷し沈没
要目
排水量 540トン
長さ 177 ft 3 in (54.03 m)
31 ft (9.4 m)
吃水 6 ft 9 in (2.06 m)
主機 三段膨張式蒸気機関
出力 600 hp
推進器 スクリュープロペラ×2
速力 11ノット
乗員 69名
兵装

竣工時

1918年

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M21英語: HMS M21)はイギリス海軍モニターM15級

設計

沿岸砲撃用に作られた艦であり、主兵装は単装のBL 9.2インチMk VI砲で、これはエドガー級防護巡洋艦テセウス (防護巡洋艦)英語版から移設されたものである[1]。また、9.2インチ砲に加えて12ポンド砲および6ポンド対空砲を装備した。ボリンダー社製の焼玉エンジンが不足したため、他の同型艦と違い、2軸の三段膨張式蒸気機関を使用し、最高速度は11ノットに達した。モニターの乗組員は69名の士官及び兵卒からなっていた。

建造

M21は1915年3月に発注されたが、これは戦時緊急造船計画の一部としてだった。レイルトン・ディクソン社の造船所で1915年3月に起工、1915年5月27日進水。1915年7月20日に竣工した。

第一次世界大戦

M21は1915年9月から地中海戦線に送られ、エーゲ海ムドロス港へ移動。11月にはポートサイドへ移り、スエズ運河の防衛にあたる。また、シナイ半島北部での戦闘の支援もおこなった。1917年7月、M21は地中海を離れドーバー海峡へ移動。9月には、西部戦線砲兵部隊への転用を目的として主砲である9.2インチ砲が撤去され、代わりにBL 7.5インチMk III 50口径砲が装備された。10月にはドーバー哨戒に戻り、1918年4月、第1次オーステンデ襲撃に参加した。

最後

10月20日、オーステンデからの出港時に触雷。2度爆発があり浸水。沈没を避けるため座礁させられ、乗員の脱出後横転。死者5名。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Randal Gray (ed). Conway's All The Worlds Fighting Ships, 1906-1921. Conway Maritime Press. p. 48. ISBN 0-85177-245-5 

参考文献




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