M・小田島が出所
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「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「M・小田島が出所」の解説
2000年(平成12年)5月23日、仮釈放を許された受刑者Mは、宮城刑務所から出所した。 Mはその後、しばらくは更生保護施設に寄宿していたが、仮出所後も定職に就かず、知人らとともに浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人らに転売する仕事をしていた。 Mはその後、その仕事から手を引くことにしたが、その際に数名の浮浪者の個人情報・印鑑を入手し、その浮浪者の個人情報のうち1人の名義を利用し、国民健康保険証を取得してこれを身分証明書として用い、同人名義で借金をしたりして金を稼いだ。 そして、保護観察期間終了後の翌2001年(平成13年)9月頃、Mは施設を出てアパートの一室を借り、宮城刑務所で知り合った群馬県佐波郡に住む知人を頼り、知人宅に居候するなどして生活を送っていた。Mはその後もまじめに働く気はなく、知人らと浮浪者の名義を利用して携帯電話を購入し、外国人などに転売するなどして金を稼いでいた。 2001年9月28日、Mは入手した浮浪人のうち1人の名義を利用し、消費者金融から借入れをするため、群馬県佐波郡内の村役場で浮浪人の住民登録を不正に知人方に異動させ、住民基本台帳ファイルに虚偽の記録をさせ、公正証書の原本としての用に供した(Mの電磁的公正証書原本不実記録罪、同供用罪)。これにより、国民健康保険証などを入手したMは、これを身分証明書として用いて浮浪人名義で借金をし、借りた金でフィリピンに旅行に行ったり、パチンコに興じるなど、無為徒食の生活を送っていた。2001年12月から、Mは知人の紹介で、運転手の仕事を始めたものの、楽をして大金を得ることはできないかなどと考えていた。 Mは2002年5月、「そろそろ小田島が仮釈放され、刑務所を出所してくる頃だ」と考えた。Mは「小田島と宮城刑務所で話し合った犯行計画を、まだともに実行する気があるならば、一緒に実行したい」と考え、「刑務所内で話し合った計画がどうなったか聞こう」と思い、小田島から出所後の連絡先として教えられていた、小田島の義父の電話番号に電話をかけた。 その結果、約1か月後の2002年6月下旬頃、「小田島が仮出所する」と聞いたため、自分の携帯電話の電話番号を連絡先として教え、「小田島が出所したら、その番号に連絡してくれ」と伝言した。その上で2002年6月11日、Mは小田島の出所に備え、群馬県伊勢崎市内のアパートの一室を借り、そこに住むようになった。
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