KENTAとのタッグ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:48 UTC 版)
「石森太二」の記事における「KENTAとのタッグ時代」の解説
2007年初夏頃からはKENTAとタッグを組むようになり、KENTAがジュニアヘビー級戦線の活発化のため、提唱し実現したノア初のジュニアタッグリーグ戦(日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦)に参加。GHCジュニアヘビー級タッグ王者の鈴木鼓太郎&リッキー・マルビンの他、ROHの強豪タッグチーム:ブリスコ・ブラザーズや、丸藤正道がDDTプロレスリングの飯伏幸太と組んで参戦したことにより大成功を収めた上、王者チームを差し置いて最終戦で丸藤・飯伏組を破り優勝をも果たした。8月31日にはジュニアタッグリーグ優勝の勢いを駆ってGHCジュニアヘビー級タッグ王座(王者:マルビン&鼓太郎組)に挑戦するも敗戦となった。 2008年3月20日、DRAGON GATE大田区体育館大会にて鷹木信悟&B×Bハルク組からGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取し(石森のパートナーはKENTA。)、第9代王者チームとなった。 8月23日から開催された第二回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦では優勝する。(石森のパートナーはKENTA。) 2009年3月、TBS番組「SASUKE」に出場するも,1stステージのジャンピングスパイダーでリタイアとなった。 2009年6月、石森はKENTAと訣別してヒールターン、6月4日から新たに金丸義信とタッグを結成する。コスチュームも黄色から赤に変更し、ワイルドな風貌へイメージチェンジを図ったが、結局は再びKENTAとタッグを組むことになり、元の鞘に収まった(三沢光晴の事故死によるカード再編成のため。)。 レスラー活動と並行してボディビルダーである山本義徳の師事の元、ボディビルの大会出場を目指し肉体のビルドアップに励んだ。7月26日、横田基地で行なわれた「セントラル・ジャパン・ボディビルディング・チャンピオンシップス」大会でボディビル初出場を果たし、石森もライト級で準優勝という結果を残した。試合を観戦したボディビルダーは、出場した選手の中で一番目立っており優勝すると思った。との評を石森の大会での雄姿と共に残している。失恋がきっかけでボディビルを始めたが、ボディビルにチャレンジして何か変わりましたか?の質問にはボディビルを初めてから男性ファンは増えたが、女性にはあまりウケが良くなかったと答えている。
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