八木重吉とは? わかりやすく解説

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八木重吉

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 01:30 UTC 版)

八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は、日本詩人英語科教師


注釈

  1. ^ 重吉の母は、武雄の祖父の姪[9]
  2. ^ 師範学校を卒業して中学英語教師となった加藤武雄らの影響を受け師範学校に進学。英文学を志望した[4]
  3. ^ 1924年にタゴールが来日した際に、御影町に住んでいた重吉は神戸で開かれたタゴールの講演に赴いている[3]
  4. ^ 内部生命論」、「熱意」を愛読し、「蓬萊曲」を賞揚した[14]
  5. ^ 寮生活を共にした大分県出身の哲学青年。ニーチェを語り、キリストを論じた[15]
  6. ^ 富永の説教は、教義や儀式礼典より生きた経験を尊重し、人と神との合一をのぞむということを主張した。富永と内村鑑三との間では「キリスト再臨説」をめぐり論争がなされた[14]
  7. ^ 吉田は同年2月6日に死去。
  8. ^ 退寮について、全集所収の年譜では「肺病といわれて寮を追われ」となっている[18]のに対し、澤村修治は下級生への感染への配慮と高等師範の全寮制廃止が理由としている[17]
  9. ^ とみは戸籍名(厳密には変体仮名[7])。重吉は書簡や詩で「富子」「登美子」といった表記をおこない、自身は吉野秀雄との再婚後は「登美子」を名乗った。以下、本記事では戸籍名の「とみ」と表記する。澤村・横手(2013)のように「とみ子」と表記する関連書籍もある。
  10. ^ 新潟県高田市(現・上越市)出身。父の死後上京し、日本画家であった実兄慶治の許で独学で、受験準備をしていた[19]
  11. ^ 同宿の小学校教諭石井義純[3]
  12. ^ 千代田村は、重吉が療養のために去ってまもない1926年(大正15年)9月15日に町制を施行して柏町となった。
  13. ^ 草野の回想では訪問は「大正十四年」となっているが、澤村修治は「大正十五年」の誤記ではないかと記している[38]。『八木重吉全集』の年譜では1926年(大正15年)3月としている[8]
  14. ^ この証言は、東葛飾高等学校の校史『四十年の歩み』(1965年)からの転載。
  15. ^ 南湖院で働き始めた時期について、とみ自身は回想録で「昭和17年」(1942年)としているが、全集所収の年譜は「1941年」としている(脚注記載の各出典)。
  16. ^ 田中清光の言及は『詩人八木重吉』(麦書房、1969年)からの引用。

出典

  1. ^ a b c "八木重吉". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2023年1月27日閲覧
  2. ^ a b "八木重吉". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2023年1月27日閲覧
  3. ^ a b c d e f 八木重吉の年譜と文学活動|八木重吉記念館”. 八木重吉記念館. 2018年3月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 小田切進(編)「年譜 八木重吉」『日本の詩第17巻 八木重吉、尾崎喜八、小熊秀雄 集』集英社、1979年 pp.262-263
  5. ^ 田中清光「八木重吉の詩の生命 八木重吉について」『日本の詩第17巻 八木重吉、尾崎喜八、小熊秀雄 集』集英社、1979年 p.240
  6. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 140–141.
  7. ^ a b 田中 1982a, p. 461.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「八木重吉年譜」『八木重吉全詩集2』ちくま文庫、1988年 pp.347-354
  9. ^ 八木重吉『秋の瞳』富士印刷、1925年 p.1
  10. ^ a b 澤村・よこて 2013, p. 143.
  11. ^ a b “房総の作家 八木重吉9 詩友求め、詩集刊行”. 千葉日報. (2011年2月17日). https://www.chibanippo.co.jp/culture/bousou/30766 2018年11月10日閲覧。 
  12. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 144–146.
  13. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 147–148.
  14. ^ a b 田中清光「八木重吉の詩の生命 八木重吉について」『日本の詩第17巻 八木重吉、尾崎喜八、小熊秀雄 集』集英社、1979年 p.241
  15. ^ 阪本越郎「鑑賞」『日本の詩歌23 中原中也、伊東静雄、八木重吉』中公文庫、1974年 p.303
  16. ^ a b c 澤村・よこて 2013, pp. 149–150.
  17. ^ a b c d e 澤村・よこて 2013, pp. 153–155.
  18. ^ a b 田中 1982a, p. 463.
  19. ^ 「八木重吉年譜」『八木重吉全詩集2』ちくま文庫、1988年 p.349
  20. ^ 沿革|神戸大学国際人間科学部”. 神戸大学 国際人間科学部. 2018年11月1日閲覧。
  21. ^ “房総の作家 八木重吉(1) 東葛飾中学校に赴任”. 千葉日報. (2010年10月21日). https://www.chibanippo.co.jp/culture/bousou/13632 2018年11月10日閲覧。 
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  23. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 159–161.
  24. ^ 吉野 1976, p. 29.
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  26. ^ 澤村・よこて 2013, p. 163.
  27. ^ 澤村・よこて 2013.
  28. ^ 澤村・よこて 2013, pp. 165–166.
  29. ^ 澤村・よこて 2013, pp. 167–169.
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  33. ^ a b c 澤村・よこて 2013, p. 172.
  34. ^ 『兵庫県御影師範学校創立五十周年記念誌』兵庫県御影師範学校同窓義会、1928年、p.168(「旧職員一覧」)
  35. ^ a b c d “房総の作家 八木重吉(2)急発展する柏に”. 千葉日報. (2010年11月11日). https://www.chibanippo.co.jp/culture/bousou/16980 2018年11月10日閲覧。 
  36. ^ a b c d e 澤村・よこて 2013, pp. 177–178.
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  38. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 179–180.
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  40. ^ 吉野秀雄「八木重吉年譜」『日本の詩歌23 中原中也、伊東静雄、八木重吉』中公文庫、1974年 p.425
  41. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 180–181.
  42. ^ a b c “房総の作家 八木重吉(14) 東葛飾中学最後の授業”. 千葉日報. (2011年5月5日). https://www.chibanippo.co.jp/culture/bousou/41690 2018年11月10日閲覧。 
  43. ^ a b 澤村・よこて 2013, pp. 183–185.
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  51. ^ 江藤淳「詩人の肖像」『日本の詩歌 23 中原中也 伊東静雄 八木重吉』中央公論新社、2003年(新装版)、p.417(江藤の文章自体はpp.398 - 419に掲載)
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  59. ^ 茶の花忌 - 『デジタル大辞泉プラス』(コトバンク
  60. ^ 「吉野登美子さん死去」朝日新聞1999年2月12日夕刊15頁
  61. ^ 小国綾子 (2021年11月9日). “あした元気になあれ 八木重吉の「最後の一行」”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20211109/dde/012/070/008000c 2023年6月25日閲覧。 
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  65. ^ 澤村・よこて 2013, p. 151.
  66. ^ 澤村・よこて 2013, p. 84.
  67. ^ 八木重吉 『八木重吉全詩集 第一巻』 筑摩書房、1988年8月、p.356。
  68. ^ 井上・山根 1989, pp. 150–151.
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  70. ^ 吉野 1976, p. 78.
  71. ^ 吉野 1976, p. 85.
  72. ^ 平松正一「なつかしきかな」『兵庫県御影師範学校八十五年記念誌』兵庫県御影師範学校同窓会甲陽会、1962年、p.181。筆者は師範学校1924年卒業。


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