HMSストックホルムの介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 10:07 UTC 版)
「カステレット (ストックホルム)」の記事における「HMSストックホルムの介入」の解説
1990年3月29日からストックホルムを訪れていたHMSストックホルムの艦長ケネス・リンドマーク(スウェーデン語版)中佐は、同艦が出港する1990年4月2日にカステレットに艦の軍旗を掲揚するよう指示した。その目的のために、リンドマークは乗組員の中から何人かの水兵を上陸させ、カステレットに入り、HMSストックホルムが通過する間に旗を掲げ、svensk lösen(スウェーデンの身代金)という形で敬礼をした。これに関して、ケネス・リンドマークは、ベングト・シューバック(スウェーデン語版)海軍長官と沿岸艦隊長官にこの件に関する情報を送っている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} MS STO 1990-04-02ORIENTERING:HMS STOCKHOLMS ÖRLOGSFLAGGA HISSADES IDAG KL 0910 PÅ KASTELLETI SAMBAND MED AVGÅNG FRÅN STOCKHOLM. MÅ DEN I FORTSÄTTNINGEN FÅ BLÅSA DYGNET RUNT. SÄNDLISTA: CM, CKF, CÖRLBO. (情報:ストックホルムからの出発に合わせて、本日9時10分にカステレットでHMSストックホルムの軍旗が掲揚された。 これから24時間掲揚される。 宛先: 海軍長官、沿岸艦隊指揮官、CÖRLBO) これは本部でも注目された。これに対して、海軍長官はこう返答した。 CM 1990-04-02 ENLIGT UPPGIFT HAR ENHET UR KUSTFLOTTAN HISSAT ÖRLOGSFLAGGAN PÅ KASTELLHOLMEN I STOCKHOLM 1990-04-02 UNDER ANGIVANDE AV SVENSK LÖSEN. INKOM SNARAST OM HURUVIDA DETTA ÄR RIKTIGT OCH VEM SOM I SÅ FALL BESLUTAT OM DETTA. (情報によると、沿岸艦隊の部隊は、スウェーデンの身代金の表示のもと、1990年4月2日にストックホルムのカステルホルメンで海軍旗を掲揚した。これが正しいかどうか、正しいとすれば誰がこれを決めたのか、できるだけ早く私に連絡すること。) しかし、その日のうちに海兵隊員によって回収された。しかし、これをきっかけに議論が始まり、総司令官は「カステレットの旗の上げ下げはストックホルムの守備隊が行う」と決定した。そのため、1990年6月6日以降、ストックホルム城の大衛兵から2名の衛兵が毎日カステルホルメン島に赴き、旗を掲げ、降ろしている。
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