元弘の乱とは? わかりやすく解説

元弘の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 13:10 UTC 版)

元弘の乱(げんこうのらん)は、鎌倉時代最末期、元徳3年4月29日1331年6月5日)から元弘3年6月5日1333年7月17日)にかけて、鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱。ただし、元弘3年/正慶2年(1333年)5–6月中のどの出来事をもって終期とするかは諸説ある(始期・終期)。


注釈

  1. ^ 天皇が臣下である筈の幕府に捕らえられるという事態は、後醍醐と対立する持明院統にも衝撃を与え、花園上皇は「王家之恥何事如之哉、天下静謐尤雖可悦、一朝之恥辱又不可不歎」と書き記している[9]
  2. ^ 北条仲時自刃の際、付き従っていた武士432人が殉死している。
  3. ^ 足利尊氏寄進状建武2年(1335年3月28日付(『神奈川県史』資料編3所収)[10]
  4. ^ 「将軍足利尊氏寄進状案」「将軍足利尊氏御教書案」(『神奈川県史』資料編3所収)、「惟賢灌頂授与記」(『鎌倉市史』史料編1所収)[10]

出典

  1. ^ a b 森 2012, 第3章 建武政権の成立と展開>1 元弘の乱>倒幕運動の新段階.
  2. ^ 『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年) ISBN 4-642-02863-3。pp. 305–320
  3. ^ 亀田 2017, pp. 18–19.
  4. ^ 呉座勇一『陰謀の日本中世史』KADOKAWA〈角川新書〉、2018年。ISBN 978-4040821221 第4章 足利尊氏は陰謀家か>第1節 打倒鎌倉幕府の陰謀。
  5. ^ 「元徳元年の〈中宮御懐妊〉」『弘安書札礼の研究』(東京大学出版会、2000年)P253-270.(初出:『金澤文庫研究』274号、1985年)
  6. ^ 『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年) ISBN 4-642-02863-3。pp. 336・338
  7. ^ 亀田 2017, pp. 19–23.
  8. ^ 『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年) ISBN 4-642-02863-3。pp. 336-337
  9. ^ 花園天皇宸記』元弘元年10月別記1日条。
  10. ^ a b c d 「神奈川県:鎌倉市 > 小町村 > 宝戒寺」『日本歴史地名大系』平凡社、2006年。 
  11. ^ 鈴木由美 著「【北条氏と南朝】5 鎌倉幕府滅亡後も、戦いつづけた北条一族」、日本史史料研究会; 呉座勇一 編『南朝研究の最前線 : ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』洋泉社〈歴史新書y〉、2016年、110–128頁。ISBN 978-4800310071 . pp. 119–126.
  12. ^ a b c d e f 福田 1997.
  13. ^ 森茂暁「『博多日記』の文芸性と九州の元弘の乱」(初出:「福岡大学人文論叢」37巻4号(2006年3月)/所収:森『中世日本の政治と文化』(思文閣出版、2006年) ISBN 978-4-7842-1324-5 第三章第五節)P418)
  14. ^ a b c d 森 2012, 第3章 建武政権の成立と展開>1 元弘の乱>元弘の変.
  15. ^ 新井 2016, p. 94.
  16. ^ 生駒 2017, p. 26.
  17. ^ 日本国語大辞典』第二版「元弘の変」
  18. ^ a b c 五味 1994.
  19. ^ 森 2012, 第3章 建武政権の成立と展開>1 元弘の乱>元弘の倒幕勢力.
  20. ^ a b 亀田 2017, p. 54.


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