Cao Baoとは? わかりやすく解説

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曹豹Cao Bao

ソウヒョウ
サウヘウ

(?~196
下邳

陶謙の将。丹楊郡の人か。

興平元年一九四)夏、曹操全軍こぞって徐州攻め寄せたとき、劉備とともに郯の東に駐屯し迎撃ようとした敗走する曹操徐州において多数住民虐殺した武帝紀》。

陶謙病没すると劉備徐州取り仕切ることになったが《先主伝》、曹豹は徐州残って劉備仕えたようである。建安元年一九六)、袁術徐州侵攻したとき、劉備盱眙淮陰出て彼を防ぎ、こうして両軍一ヶ月のあいだ対峙した。曹豹は下邳国相として張飛とともに下邳城を守っていたが、張飛仲違いして呂布招き入れようとした先主伝》。しかし呂布到着する以前張飛殺されてしまう《呂布伝》。下邳守っていた中郎将許耽は呂布使者送り真夜中に呂布軍到着する開門して出迎えたその結果張飛軍勢敗走し劉備諸将妻子徐州とともに呂布の手落ちた呂布伝》。

一般に低い評価与えられている曹豹だが、下邳は闕宣の遺領であり、当然、反対勢力が根強かった思われるそうした統治困難な大国委任されたというだけでも、彼がいかに高く評価されていたかが窺える決し凡庸な人物ではない。配下の許耽が陶謙と同郡の人なので、曹豹も同じく丹楊郡の人である可能性が高い。

参照袁術 / 許耽 / 曹操 / 張飛 / 陶謙 / 劉備 / 呂布 / 下邳国 / 盱眙県 / 徐州 / 郯県 / 丹楊郡 / 淮陰県 / 相 / 中郎将


曹豹

(Cao Bao から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 00:05 UTC 版)

曹 豹(そう ひょう、? - 196年)は、中国後漢末期の武将。豹は慣例として呉音で「ひょう」と読む(日本では動物のヒョウにこの字を当てる場合がある)。本来漢音で読むなら「ほう」で、これに従い「そうほう」とルビをふっている本もある。




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