穴山信友とは? わかりやすく解説

穴山信友

(Anayama Nobutomo から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 04:42 UTC 版)

穴山 信友(あなやま のぶとも)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で御一門衆。


注釈

  1. ^ 生年は高野山成慶院「武田家過去帳」に記される没年から逆算。
  2. ^ 『武田源氏一統系図』では、仮名を「彦太郎」としている。
  3. ^ 「伊豆守」の受領名は武田宗家をはじめ同氏の外戚でもあった祖父穴山信懸が名乗っている。
  4. ^ 信風は実名を「信綱」、受領名を甲斐守ともされ、武田氏系図類のうち最古とされる円光院武田家系図では信風に相当する「竜雲寺殿」を父としている。一方、円光院系図以降の系古いで信風以外の信懸子息を信友の父とする系図もあり、南葵文庫本一本武田系図では信尭を父とし、浅羽本武田系図では宗九郎信永を父としている。
  5. ^ 甲斐・竜華院五世住職・駿河・先照寺(静岡県富士宮市)開山。
  6. ^ ほかに後室・側室の女性も想定されている。
  7. ^ 晴信が家督を相続した天文10年(1541年)段階の武田宗家において元服に達しているのは信友のほか晴信の弟・武田信繁がいる。また、信友嫡男の信君も信玄娘を正室に迎えており、穴山氏は信玄・勝頼期において御一門衆の地位を保ち続けた。
  8. ^ 武田宗家でも信虎による甲斐統一後には甲府躑躅ヶ崎館を中心とした城下町整備が行われ、甲斐国内では郡内領主の小山田氏谷村館を中心とした新城下町整備を行っている。なお下山館の所在地は甲府と駿府の中間地点に位置し、穴山氏は武田側に帰属したものの今川氏との外交関係を維持しつづけ、戦国期国衆に特徴的な両属性と評される。

出典

  1. ^ 「武田家過去帳」
  2. ^ 堀内亨 著「戦国大名の領国形成と国人領主-武田氏と穴山氏を事例として-」、佐藤八郎先生頌寿記念論文集刊行会 編『戦国大名武田氏』名著出版、1991年。 
  3. ^ a b c 『山梨の名宝』、p.131
  4. ^ 矢田俊文「戦国期甲斐国の権力構造」『日本史研究』201号、1979年。 
  5. ^ 平山 2011.


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