倉町信俊とは? わかりやすく解説

倉町信俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 07:17 UTC 版)

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倉町信俊
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正12年(1584年
別名 通称:新太郎、左衛門太夫
主君 龍造寺隆信
氏族 倉町氏
龍造寺隆信娘
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倉町 信俊(くらまち のぶとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将龍造寺氏の家臣。

略歴

龍造寺隆信に仕え、元亀元年(1570年)の今山の戦いで戦功を挙げている。室は龍造寺隆信の娘であり、龍造寺家中においてかなりの地位を築いていたと思われる。天正12年(1584年)の諫早攻めでは第3軍を指揮しているが、同年の沖田畷の戦いで、龍造寺隆信を守って戦死した。

以降、子孫は佐賀藩の家老職を務めており、鍋島姓も賜っている。





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