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倉田隆文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/14 14:11 UTC 版)

くらた たかふみ

倉田 隆文
生誕 (1923-05-15) 1923年5月15日
日本
死没 (1998-05-09) 1998年5月9日(74歳没)
三重県四日市市
国籍 日本
出身校 東京商科大学
職業 実業家
活動期間 20世紀
活動拠点 日本
肩書き ノリタケカンパニーリミテド社長
中部経済同友会代表幹事
前任者 杉本悌二郎 (ノリタケ)
雲井洋 (中部経済同友会)
後任者 佐伯進 (ノリタケ)
多賀潤一郎 (中部経済同友会)
受賞 スリランカラトナ勲章
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倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 1998年5月9日)は、日本実業家。伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)社長として同社を再建したのち、ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や中部経済同友会代表幹事を務めた。スリランカラトナ勲章受章。

人物

東京都出身。神田の本屋街で育つ。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業、日本陶器入社[1]

ニューヨーク支店、社長室、海外事業部長、常務等を経て、1974年から1981年まで経営悪化に陥っていた伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)の社長を兼務。工場や従業員を半減するなど減量経営を行い、6年で再建を果たす[2]

1981年1月専務、1981年8月副社長を経て、1982年、杉本悌二郎の後任としてノリタケカンパニーリミテド社長就任[3]カナダアメリカ合衆国向けの陶磁器の輸出を増やした。また消費における女性の影響が高まってきたことから20代、30代の女性向けのデザイン開発のため、自社開発のみでなく、国内外のデザイナーにデザインを委託。ニーズの多様化に合わせ、大量生産だけではなく、多品種少量生産の可能な工場建設も進めた[4]

1984年から1986年まで中部経済同友会代表幹事[5]。取締役時代からスリランカなどの海外生産工場、子会社への生産移管を進めた功績などから、1992年スリランカラトナ勲章受章[6]

趣味は小説を読むこと[1]

1998年5月9日三重県四日市市の病院で死去、享年74[7]

栄典

スリランカラトナ勲章

脚注

  1. ^ a b 1982/06/15, 日本経済新聞
  2. ^ 1982/06/15, 日本経済新聞 
  3. ^ 1982/01/28, 日経産業新聞、1982/01/27, 日本経済新聞
  4. ^ 1984/09/12, 日本経済新聞
  5. ^ 1986/08/09, 日本経済新聞、1990/01/17, 日本経済新聞
  6. ^ 1992/05/27, 日経産業新聞、1982/06/15, 日本経済新聞 
  7. ^ 1998/05/11, 日本経済新聞


先代
杉本悌二郎
ノリタケカンパニーリミテド社長
1982年 - 1987年
次代
佐伯進
先代
雲井洋
中部経済同友会筆頭代表幹事
1986年 - 1987年
次代
多賀潤一郎



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