8代将軍になれなかった理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 08:10 UTC 版)
「松平清武」の記事における「8代将軍になれなかった理由」の解説
7代将軍徳川家継が危篤状態に陥った時、家宣の正室だった天英院は8代将軍の候補として清武を推したという。清武が家継の叔父であり、血統的に最も近かったのが理由である。しかし清武は、将軍には相応しくないとされる理由が主に2つあった。 家臣の越智喜清に育てられてその家督を継いでおり、また松平の苗字を許されて大名になったのが宝永4年(1707年)、44歳の時であり、経歴上問題があった。 既に54歳と高齢であった。 また、清武自身にも将軍職に対する野心は特になかったといわれる。これらの理由から天英院は清武を将軍にすることを諦め、紀州藩主徳川吉宗を推し、吉宗が8代将軍に就任した。
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