7代 梧陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 15:21 UTC 版)
詳細は「濱口梧陵」を参照 7代目 濱口儀兵衛(文政3年6月15日(1820年7月24日) - 1885年(明治18年)4月21日)は、江戸時代末期(幕末)から明治初期にかけての当主。名は成則、号は梧陵(ごりょう)。 5代目灌圃の孫にあたり、分家の濱口七右衛門家に生まれる。嘉永6年(1853年)、儀兵衛家に入って家督を相続。嘉永7年(1854年)の安政南海地震に際して広村住民の津波からの避難誘導にあたり(これをもととして、のちに「稲むらの火」の物語が記された)、地震後は広村の堤防建設に尽力した。また、人材育成や医学の発展にも支援を行い、政治家としても活動した。
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