4・8抗命事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/18 05:00 UTC 版)
69年当時の国会において、朴大統領与党である共和党は改憲発議に必要な3分の2を上回る議席を有してはいたが党内部でも3選改憲への賛否は分かれ、金鍾泌系(主流派)は大部分が反対、反金鍾泌系(反主流派)は賛成の立場にあったため、両者は激しく対立した。こうした中、1968年4月8日、野党新民党が提出した権五柄文部長官に対する解任案が、共和党内における親金鍾泌系議員の造反によって在籍議員数の過半数を1名上回って可決されたことで、金鍾泌派の実力が侮れないことであることを示した。後に「4・8抗命事件」と呼ばれたこの事態に激怒した朴大統領は、党規委員会に首謀者を特定して厳しく処罰する事を命じ、4月15日に梁淳稙を初めとする5名の金鍾泌系議員を除名処分とした。また7月12日に開かれた党規委員会で党中央委員11名、地区党副委員長4名を含めた96名が除名され、共和党内における批判勢力を一掃した。
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