2010年 ~ツール・ド・フランス 念願の表彰台へ~
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「デニス・メンショフ」の記事における「2010年 ~ツール・ド・フランス 念願の表彰台へ~」の解説
シーズン当初はブエルタ・ア・ムルシア総合2位、ツール・ド・ロマンディ総合3位など好調な様子を見せたが、最大の目標であったツール・ド・フランスを前に気管支系の体調不良が続き、調整が遅れ気味のままオランダでのツール開幕を迎えた。 初日の個人タイムトライアルは若干不安を感じさせる結果であったが、多くの有力選手が落車に巻き込まれた第2ステージ、13kmのパヴェ区間を含み波乱のレースとなった第3ステージとも落車することなく無難にこなした。 山岳でも、総合優勝の最有力候補とされていたアルベルト・コンタドールとアンディ・シュレクの2人の闘いの陰で目立つことはなかったが、安定した走りで総合順位を4位まで上げてきた。 そして最終日前日の第19ステージ、メンショフが今年のツールの中で自分にとって絶好のチャンスであると考えていた52kmの個人タイムトライアルでは「人生で最高のレースだった」と述べるほどの快走をみせ、サムエル・サンチェスを逆転して総合3位となり、ロシア人選手として初めてツール・ド・フランス総合表彰台へ上ることができた。後にコンタドールの優勝剥奪により総合2位となる。
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