2008年ハリケーン・アイク
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「テキサスシティ」の記事における「2008年ハリケーン・アイク」の解説
ハリケーン・アイクによる暴風や高波は、ガルベストン郡全域に壊滅的な被害をもたらしたが、テキサスシティは他の標高が低い地域のような惨状には至らなかった。市は1961年のハリケーン・カーラで壊滅的な被害を受けたことから、1960年代初めに市の周囲を囲うように27㎞の長さにわたる堤防が建設されていた。さらに、ガルベストン湾、ドラー湾、モーゼス湖に隣接する市の北東部の周囲一帯にはアルキメディアン・スクリューを備えた排水ポンプが配置されていた。堤防と排水ポンプはハリケーンの猛烈な高潮から市内を守り、大規模な被害からは免れた。市内の被害の大部分は、ハリケーンの暴風と大雨によるものに抑えられた。 ハリケーン上陸翌日の2008年9月14日の日曜日、市内の高校のサッカー場「スティンガリー・スタジアム」は、海岸に近いボリバー半島やガルベストン島などからテキサス州軍のUH-60 ブラックホークで避難した人々が集まっていた。翌9月15日の朝までにはアメリカ赤十字社が救援物資寄付センターを開設した。 テキサスシティ堤防はハリケーンが通過した9月13日の早朝、ハリケーンの3.7mを超える高潮に飲み込まれた。埠頭と堤防上の道路は破壊されたが、堤防それ自体は嵐を切り抜けた。堤防は道路や付属設備が再建されるまでの3年間閉鎖された。2011年9月に通行が再開された。
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