2006年トリノオリンピックシーズンまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 22:24 UTC 版)
「日の丸飛行隊」の記事における「2006年トリノオリンピックシーズンまで」の解説
2003年ノルディックスキー世界選手権では葛西の復活があり、3種目でメダルを獲得。 2006年、日本のジャンプについて当時、日本ナショナルチームヘッドコーチだったカリ・ユリアンティラは「フィンランドやオーストリアなどのジャンプ強国と比べて踏み切りの技術が未熟でレベルが低い。日本の技術は1990年代後半までは良かったがその後のルール変更による対応が全くできていない。しかも若い選手が全く成長していない上に主力が世界の強豪国と比べてあまりにも高齢だ。私の目標はトリノオリンピックでのメダル獲得ではない。2007年に札幌で行われるノルディックスキー世界選手権に向けて有望な若い選手を見つけることだ」と話した。トリノオリンピックでのメダル獲得が困難であることが明白であるにもかかわらず若い選手が育っていないため、岡部・葛西らの出場は早々に内定し、最終的には原田も選考された。そのため、フィンランド、オーストリアなどのジャンプ強国のマスコミの一部からは日の丸飛行隊が「高齢者集団」であることを皮肉って「ロートルジャパン」と呼ばれた。20歳の伊東大貴、16歳の伊藤謙司郎ら若手も代表に選ばれたものの、団体6位、個人では岡部のラージヒル8位入賞が最高で、メダルの獲得はならなかった。 2006年3月、長らく日本のジャンプ界を牽引してきた原田が引退。
※この「2006年トリノオリンピックシーズンまで」の解説は、「日の丸飛行隊」の解説の一部です。
「2006年トリノオリンピックシーズンまで」を含む「日の丸飛行隊」の記事については、「日の丸飛行隊」の概要を参照ください。
- 2006年トリノオリンピックシーズンまでのページへのリンク