2000年10月 - 2002年9月
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「スーパーモーニング」の記事における「2000年10月 - 2002年9月」の解説
2000年10月には土・日曜日の『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを務めた蟹瀬誠一を総合司会に起用。フジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』内の「とくダネ!TIMES」に相当するコーナーを社会・芸能別に用意。9時台前半には討論コーナーを立ち上げた。また、アメリカ同時多発テロ事件では、蟹瀬がワシントンから1週間取材を行った。 苦戦を続ける中、平日昼では『ワイド!スクランブル』の大和田獏とテレビ朝日アナウンサーの大下容子のコンビが定着した(後の2009年秋改編で大和田は降板、後任は同局アナウンサーの寺崎貴司)。それを受けてか2002年4月に『癒し路線』を求めて俳優の前田吟を総合司会に起用するも、視聴率は全く奮わなかった。そのためわずか半年でリニューアルに踏み切る。この件で前田を総合司会に起用したスタッフが左遷された。なお、テレビ朝日の重役が前田のファンだったという理由による起用だった。前田はこの総合司会に関して、橋田壽賀子から批判されたことがある。
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