2年弱の活動期
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1929年(昭和4年)8月1日、創刊する。同誌の主宰は久保陽、のちに漫画家となる吉田貫三郎が、編集助手を務めていた。 当時の知名度は高くなかったものの、『アサヒグラフ』(朝日新聞社)、『新青年』(博文館ほか)とともにアメリカ合衆国のナンセンス漫画を掲載していた。日本人の漫画家の作品にも、その影響が見られる。漫画家志望の青年たちが、作品を投稿していた雑誌である。内容に関しては、一枚物・連載のナンセンス漫画の他に、ナンセンス小説が掲載されていた。 1931年(昭和6年)6月6日、同日付発行の通巻第23号をもって廃刊する。
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