1987年-1988年:興行日程の戦い
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1987年11月から1988年3月までの5ヶ月間、ビンス・マクマホンとジム・クロケット・ジュニアの間で熾烈な興行戦争が起こった。1987年の感謝祭の夜、NWAのPPV特番『スターケード』に対抗して、WWFはPPV特番興行『サバイバー・シリーズ』を放映する。当時の全米各地のテレビ局の多くは、一度に一つのPPV興行しか放映できなかった。そこでWWFは、もしもサバイバー・シリーズを選ばなければ、興行の60日前と21日後の間、あらゆるプロレス番組を提供しないという条件を提示して、テレビ局を脅迫した。こうして、WWFのPPV興行はNWAのスターケードを10倍の差で圧倒した。スターケードを選んだ律儀なテレビ局はたったの3つしかなかった。 この出来事の後、PPV業界はマクマホンに、NWAと同じ日に興行をぶつけないように警告した。しかし、彼はまたもクロケットを挑発した。1988年1月24日、NWAがPPV特番『バンクハウス・スタンピード』を放送する日に、WWFはUSAネットワークで『ロイヤル・ランブル』を無料放送した。 クロケットは、マクマホンの戦略と同様に対抗措置を取る。WWFのPPV興行『レッスルマニア4』が放映される1988年3月27日に、TBSで『クラッシュ・オブ・チャンピオンズ』の無料放送をぶつけた。この番組ではNWA世界王者のリック・フレアーと45分間試合して引き分けたスティングがスターとなった。その後6年間、クロケットは毎年レッスルマニアにクラッシュ・オブ・チャンピオンズ興行をぶつけたが、視聴率も観客動員もWWFを上回ることはなかった。 1980年代を通して、クロケットは順調に他のNWA系列の団体を買収し、WWFと同様の全国的な団体にすることを試みた。この結果、NWAという言葉は、ノースカロライナ州シャーロットを拠点とするクロケットの団体、JCPと同義になった。しかし1988年、クロケットの資金は底を突きかけ、TBSのテッド・ターナーに団体を売却せざるを得なくなった。ターナーは団体名をWCWに改めた。1993年に脱退するまで、WCWはNWA系列の団体であった。
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