1967年 ピンスクリーンアニメーションに出会う
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「ジャック・ドゥルーアン」の記事における「1967年 ピンスクリーンアニメーションに出会う」の解説
1967年に、再び隣人のガイ・L・コートのボランティアの要請があった。それはモントリオールで開催されていたアニメーション映画サージョージウィリアムズ大学(現在コンコルディア大学)の万国博覧会(開催:子供慈善連盟Terre des hommes)のテキストのタイポグラフィを「レトラセット」で作曲することであった。 その会場で、ジャック時はピンスクリーンアニメーションの存在に初めて出会う。 アレクサンドル・アレクセイエフとパーカーのピンスクリーンの小さな初期モデル(プロトタイプ)を見て、ニューヨーク近代美術館で見た「鼻」が頭の中で結びつき、ピンスクリーンアニメーションに対する関心がさらに高まった。 「万国博覧会の期間中、アニメーションの上映を見に行ったことを覚えている。素晴らしかった。今考えると、まるで道を示されたようだ。13歳の当時は、ガイ・L・コートとの交流が私の運命を変える可能性があるとは想像もしていなかった。連れてくれたガイのおかげで、存在を疑うことなく、この世界に入りたくなるような作品に出会うことができた。」
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